日本人と英語

英語教育が産業として成熟しにくい理由

2019年6月28日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「なぜその英語では通じないのか」からテーマをいただいて議論をしてきましたが、今回が最終回です。

そのテーマは、「なぜ日本では英語教育が産業として確立されにくいのか」についてです。

本書の紹介ブログにおいて私は、「実際の生活の中で一般の生活者は日本人の発するちょっとした違和感を丁寧にピックアップしてくれるという意味で、本書は私たち日本人英語学習者にとって非常に価値が高いと思います。(一部加筆修正)」という評価をしました。

つまり、日本においては、そのような「環境」が非常に得られにくいということです。

なぜなら、日本国内では、いくらグローバル社会到来などと騒いだとしても、日本語の力が強すぎて英語が「外国語」としてのみ存在してしまっているからです。

英語を学んだあと、「実用」の機会を得られた人はその教育に満足しますが、そうでない人は不満を募らせます。

これは、自動車運転免許取得者で普段から運転をする人は、自動車教習所というシステムに対しての「満足」が大きいけれども、ペーパードライバーとなってしまった人の「満足」は小さいのと同じだと思います。

つまり、これだけグローバル社会だと言われるようになった現代の日本においても、英語の「ペーパードライバー」の割合が、実際に英語を「使用」する状況にある人の割合に比べ、圧倒的に多いことが原因なのです。

このような状況の中で我々語学産業に生きる者がすべきことは、あくまでも英語が必要となった人が確実にその必要性を満たすサービスを提供し、その精度を絶えず高める努力をすることだと思います。

幸いにして、ランゲッジ・ヴィレッジは「国内留学」というスタイル故、「ちょっとだけ英語をかじってみたい」というレベルのモチベーションで利用されることはほとんどありません。

「会社でアメリカ赴任が決まったから」「上司が外国人になってしまったから」といった「実用」を意識したケースが非常に多いので、この日本においても利用者が「ペーパードライバー」化する割合が低いと考えております。

ですが、英語教育業界全体を考えるとこのような状況は例外的なものでしょう。

そうなると、「英語教育が産業として確立」されるためには、グローバル化がもっとずっと進んで、「ペーパードライバー」の割合が少なくなってきた時にも十分対応できるサービスを提供できるように、本質を追求する努力を業界全体で行っていく必要があるように感じます。

その意味では、書籍という形で、その本質に切り込んだ本書は私たち日本人英語学習者にとって非常に価値が高いと改めて思います。

 

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