日本人と英語

英語の歴史 その1

2014年8月10日 CATEGORY - 日本人と英語

英語の歴史

 

 

 

 

 

 

 

先日、書籍紹介ブログにて「英語の歴史」ご紹介しましたが、今回から二回にわたって、本書の内容について書いていきます。

我々日本人は中学・高校と英語を学びますが、その英語の成り立ちについて学ぶ機会というのはそうそうありません。

本書を読むことで改めて体系的に英語の歴史を学ぶことにより英語学習をより立体的にとらえることができるようになることに気が付きました。

今回の記事では、本書の概略をご紹介したいと思います。

まず英語の舞台であるブリテン島の歴史の始まりを見てみます。実はブリテン島にはいつごろから人が住んでいたのかが明らかになっていません。分かっている範囲で最古の住民は紀元前6~5世紀ごろヨーロッパ南東部から移住したケルト民族(ガリア人)だと言われています。

彼らは、ケルト語とよばれる言語を話していました。現代では、アイルランドやスコットランドに多く住んでおり、アイルランド語、ウェールズ語等の言語がいわゆるケルト語系言語とよばれています。しかし、現在ではこれらの人々もほとんど英語を話しており、これらの言語は少数言語となってしまっています。

その後、紀元前55年にローマ帝国のジュリアス・シーザーによってブリテン島が征服されます。それに伴って、軍事、政治、教育などの言語としてはラテン語が用いられることになりました。

したがって、ここまではブリテン島において英語(またはその祖先にあたる言語)は全く存在していないことになります。

英語(またはその祖先にあたる言語)の誕生としては5世紀中ごろ、ゲルマン民族がブリテン島に移住したことに伴い、彼らの言葉、すなわちゲルマンの言葉、具体的には低地ドイツ語(ドイツ語の一方言)がベースとなって英語の歴史がスタートします。

8世紀になるとデーン人(ヴァイキング)とよばれる北欧系の民族による侵略・略奪・破壊が行われました。ただ、この民族もゲルマン系ではあるので、似たような文化を持つこともあり10世紀末までには融合していきます。この結果、want、 call 、lawといった英語の基礎語彙となるたくさんの語彙が英語に入りました。

11世紀は英語にとって劇的な転換期となりました。それは、ノルマン人(フランス)によるブリテン島の征服です。

この出来事によってブリテン島の社会がゲルマン的なものからフランス的なものへと転換しました。具体的には封建社会が確立し、国内政治が整備され、中産階級が台頭しました。

言語的には、宮中をはじめ支配層の言葉がフランス語となりました。そのため、英語を話す被支配層にとってはフランス語は非常に「あか抜けた」言葉として憧れの対象でした。

ちょうど、現在の日本人が「横文字」を好んで日本語に取り込むような感じで、英語に対するフランス語の影響が強まりました。実際、現在の日常よく使われる英語の語彙の30%がフランス語から借り入れたものだそうです。

これにより、英語は急激に語彙数を増やします。例えば、buyという動詞はもともと英語に合った語彙ですが、purchaseというフランス由来の語彙を追加するという具合です。

これは日本語も、「買う」という大和言葉と「購入する」という漢語(中国語由来)の言葉が両方存在していることに近いです。どちらも、後者のほうが堅苦しく、幾分よそよそしい感じがするところも非常に似ています。

もしこの出来事が起きなければ現在の英語の構造はもっとドイツ語に近くなっていたはずです。しかし、次第に脱フランス語の方向に進み、13世紀になると宮中でも英語を使用しはじめます。

そして、14世紀にはフランスとの間で百年戦争が勃発することでフランス語は敵性言語となります。このような流れを経て14世紀末には完全に英語がブリテン島の「国語」となりました。

その後のブリテン島は異民族の侵略を経験することはありませんでした。しかし、産業革命による近代化、アメリカの独立、言葉の面では植民地の拡大による他言語との接触、規範文法の確立、近代的辞書の編纂などが行われました。このような流れを経て英語は、どの言語もそうであるように、今なお少しずつ変化しています。

以上が、非常にざっくりですが一通りの英語の歴史です。

次回は、それぞれの項目(文法、語形、発音、語彙)の変化の推移における面白いエピソードをご紹介できればと思います。

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