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日本語はなぜカタカナが多いのか

2020年2月23日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

前回に引き続いて、麗澤大学の井上優教授の著書「相席で黙っていられるか」から「日中言語行動比較論」に関するテーマをいただいて書こうと思います。

今回のテーマは、「日本語におけるカタカナ使用の多さ」についてです。

実際、我々日本人の立場からも「カタカナ語の氾濫」「カタカナ語の安易な使用」として非難の対象にもなっています。

一方で、中国語では日本語のカタカナに相当する「表音」に特化した文字を持たないので、すべて漢字に当てはめます。例えば、テレビ=電視、サントリー=三得利、ビール=啤酒といった具合です。

これらについて、本書より該当部分から引用して要約します。

「中国語の外来語の取り入れ方については以下の大きく三つのタイプがあります。

①意味に即して新しい漢字語を作る「意訳」型

ex) テレビ=電視

②発音が近い漢字を当てる「音訳」型

ex)サントリー=三得利

③音と意味を組み合わせた「音訳+類名」型

ex)ビール=啤酒

このように、中国語ではいろいろなやり方で字を組み合わせて新しい漢字語を作る一方で、現代日本語では既存の漢語を組み合わせて新しい語を作ることはできるが、字を組み合わせて新しい漢字語を作ることは難しく、和語で新しい語を作ることも難しい。」

つまり、中国語でできることが、日本語では「難しい」つまり、やろうと思えば日本語でもできるが、やりたくない事情があり、結果的に、外来語をそのままカタカナ語として使うのが最も効率的ということで現在の状況となっているようです。

その難しい理由について以下のように指摘がされていました。

「次のような漢字語も日本語の感覚では作りにくい。ホットライン=熱線、ハードディスク=硬盤、コンビニエンスストア=便利店。日本語で『便利店』などと書くと、コンビニというよりは、単なる便利な店という一般名称なイメージが強くなり、個別の事物を表す専門的名称というイメージが希薄となる。しかし、中国語では一般的名称を専門的名称として使うことが少なくない。既存の語に新しい意味を与えることを可能としている。」

このような中国語とは異なる日本語独特の感覚と、カタカナという漢字とは別個の音だけを表す文字の存在を活用することによって、「効率性」を実現した結果が、現在の状況を生み出しているようです。

ですから、日本語という枠の中だけで考えれば、この日本語における「カタカナ語の氾濫」「カタカナ語の安易な使用」は必要悪、もしくは暫定的に最良の策と言えるかもしれません。

ですが、私は以前に書いた「日本語を理解して話すということ」の記事で以下のように指摘したように、この「必要悪」は放置し続けるべきではないと思っています。

「『コンプライアンス』をカタカナとしてだけで記憶している人は、まさにそれは日本語で言えば『ほーれーじゅんしゅ』としてしか頭に入っていないのと同じだからです。なぜ、『カタカナ英語』がダメなのか?それは、『キザに聞こえる』からではありません。法令順守という漢字を知らない人が、『ほーれーじゅんしゅ』と口にしてしまうのと同じくらい日本語として『危うい』からです。」

実は、私はこの問題を解決するためのアイデアをすでに提案済みです。

それは、「アルファベット日本語化論」というウルトラCのアイデアです。

つまり、日本語という枠の中だけで考えているから、「カタカナの氾濫」は必要悪ということなので、日本語という枠から出る、というかアルファベットをそのまま日本語の枠の中に入れてしまえば、それはもはや必要悪ではなくなるのではないかということです。

「小学校英語」を無理に進めるくらいだったら、このほうがよほど健康的なグローバル化策だと思います。

実はこのことについても、「理想の小学校英語」というタイトルで記事を書いていますので、是非ご覧ください。