
「である」の生みの親は二葉亭四迷?
2025年10月19日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「英語と明治維新」からテーマをいただいて書いてきましたが、第六回目の今回が最終回です。
最終回のテーマは日本語における「言文一致」です。
「言文一致」に関しては、主に「発音」の観点から「近代以降の日本語の発音」の記事にて取り上げましたが、今回は英語を含む西洋言語と日本語との出会いが、日本語の「言文一致化」に大きな影響を与えたという事実について見ていきます。
そもそも、お互いが極めて文法的に距離の離れた言語であるために日本語に翻訳する際に大きな困難が生じるのは当たり前ですが、その上に、英語をはじめとする西洋言語はいずれも話す言葉と書く言葉が一致している「言文一致」の言語でしたので、それらを話し言葉と書き言葉にとどまらず、身分の上下、男女の別までも違いが生じる日本語に変換するのは並大抵の作業ではありません。
ですので最初は、語順が違うことを仕方のないことだと諦め、一語一語に日本語を当てた上で、漢文の返り読みのような形で非常にぎこちない日本語への変換をせざるを得ませんでした。
そのような苦労をしながらも数をこなし、少しずつ語順を日本語的にすることで「意訳」が可能となっていきます。
そのうちに、日本人は西洋語が日本語と異なり話す言葉と書く言葉が一致している「言文一致」の言語であることを受け入れ、むしろ日本語がそのようなことになっていないことを問題視するようになっていきました。
このような流れの中で具体的な解決方法を見つけたのが、ロシア文学者でもあった作家で翻訳家の二葉亭四迷で、1887年から小説「浮雲」にて言行一致の口語体「~だ」「~である」「~であった」等を用い、文体自体に変革をもたらしました。
これらの表現は、英語のbe動詞に対応する言葉として作られたものです。
特に「~であった」は丁寧すぎる「~でございます」やぶっきらぼうな「~だ」に比べて中立的で過去形の「~であった」とともに日本語に浸透していきました。(まさにbe動詞は「イコール動詞」と分類してしかるべきものということになるでしょう)
つまり、二葉亭四迷は今の日本語に欠かすことのできない「である」体を完成させた人と言えます。
このようなことが可能だったのも、彼が明治維新後に創設された近代的な学校で英語をはじめとする外国語を極め、西洋文学の表現方法に親しんでいたからこそだと著者は断言しています。
まさに、英語を含む西洋言語と日本語との出会いが日本語の「言文一致化」を実現したわけです。
そのことからも、英語を日本語と対比させながら学ぶということは、私たちの母語である日本語を磨くことにつながり、ひいては私たち日本人の思考を深めることになることが良く分かりました。









