「ペラペラ」とは言い換える力
2016年5月20日 CATEGORY - 日本人と英語
先日、「なんでも英語で言えちゃう本」を紹介した書籍紹介ブログにて、「日本の英語業界で重要人物をまた一人見つけた気がします。」という言葉で締めましたが、それほどこの本は、日本人の英語にとって重要な視点を提供していると思いました。
その視点とはタイトルの通り、「言い換える力」です。
この力は、例えば「これみよがしに英語を話す」というような日本文が頭に浮かんだ時に、これを英語に直そうとして、「う~ん、これ見よがしって単語覚えてないな~どうしよう」というような思考をするのではなく、「これみよがし」という言葉のイメージを把握して、それに最も近い言葉で自分が持っている単語を使って即座に出す力です。
この場合でしたら、「He was like “Look at this!”」というのをあげられていました。
このことについて、私は100%同意します。というか、この視点については私の自著「富士山メソッド」にも以下のようなエピソードとともに載せています。
「『今日の試験は難しかったから、単位を落としたかもしれない』 このことを私は夕食のネタにするために、この文を英訳しようとします。すると私の頭の中では、『え~と、「単位」って英語でなんて言うんだっけ?たしか受験の時にやったな、あっ、そうだ”credit”だ』と単語を思い出すという作業を経て、”Today`s exam was so hard, う~んmaybe, I lost my credit.”ということになります。ホストファミリーには通じるものの、他の留学生には”credit”の意味が「単位」と一致しないようで、”What do you mean?”となります。そこでホストマザーが、”Maybe he failed a class”とさらりと言い、それでみんなも理解してくれるのですが、その顔にあるのは「なぜ、はじめからそういわないのか?」という表情です。私自身も妙に恥ずかしい感覚に襲われたものでした。まさにこれこそが日本人特有の「言葉の一語一義教育」の弊害なのです。私は、ホームステイ先での生活で、「簡潔に」物事の状況を説明することの大切さを学んだのです。コミュニケーションは「一瞬の」勝負なのですから。」
このことの重要性については英語を「使う」という環境さえあれば、このように指摘されなくとも誰もが自然と気が付くものだと思っています。
現に、本書の著者も私もこの通り、気が付きました。
そして、この点において、私が特に大切だと思うのは、上記のように「妙に恥ずかしい感覚に襲われ」ることだと思います。
つまり、この言い換えるという作業が、当たり前のことであり、一語一義でひとつだけの正解を求めることが殊、コミュニケーションツールである言語の世界では全くナンセンスであるということを体で思い知ることです。
私は、このこともランゲッジ・ヴィレッジにおける英語しか使えないという状況に追い詰められる経験というものがとても重要な要素の一つだと考えています。
この点で100%同意できる著者の存在を心強く思った次第です。