日本人と英語

福澤諭吉の英語学習

2016年3月30日 CATEGORY - 日本人と英語

福沢諭吉                  

 

 

 

 

 

 

 

 

先日齋藤孝教授の「語彙力こそが教養である」という本をご紹介しましたが、その中で齋藤教授が「日本史上最も面白い読み物」の一つとしてあげられていたのが福澤諭吉の自伝「福翁自伝」でした。

「日本史上最も面白い読み物」などと評されるものがどれほど面白いものか非常に気になりましてすぐさまアマゾンで購入し、過度な期待をもって読んでみました。

案の定、過度な期待を持ちすぎて、多少のガッカリ感は否めませんでしたが(笑)、その中で外国語を学ぶ者として非常に興味深いエピソードが書かれていましたのでご紹介します。

それは、福澤が蘭学を勉強していた大阪から江戸に行く途中、横浜に立ち寄った時のことです。

「(横浜では)掘っ立て小屋のような家があちこちにチョイチョイできて外国人がそこに住んで店を出していた。そこへ行ってみたところが、ちょいとも言葉が通じない。こっちの言うことも分からなければ、あっちの言うことももちろん分からない。(中略)横浜から帰って、私は足の疲れではない、実に落胆してしまった。今まで死にもの狂いになってオランダの本を読むことを勉強した。それが今は何にもならない。まことにつまらないことをしたわいと実に落胆してしまった。けれども決して落胆していられる場合ではない。あそこで使われている言葉、書いてある文字は英語かフランス語に違いない。ところで今、世界で英語が普通に使われているということは以前から知っている。あれは英語に違いない。今、我が国は条約を結んで開きかかっている。であれば、この後は英語が必要になるに違いない。洋学者として英語を知らなければとても何にも通じることができない。この語は英語を読むよりほかに仕方がない。横浜から帰った翌日に、一度は落胆したが同時にまた新たな志を発して、それから以来は一切万事は英語だ、と覚悟を決めたが、さてその英語を学ぶということについてはどうしてよいか取り付きようがない。」

この後の福澤諭吉は素晴らしい動きをします。

まずは、その時点にて英語に深くかかわっていると思われる人に師事します。ですが、すぐに実はたいしたことがないということを見抜き、苦労して英語とオランダ語の対訳辞書を入手して自学自習にはげみます。

そして、自分自身についてはそう決めたはいいが、「私が自分で不便を感じるように、今の蘭学者はことごとく不便を感じているに違いない。今まで学んだのはとても役に立たない。とにかく友人に相談してみよう。」と奔走し、学友を獲得します。

このように、全く新しい言語である英語を自学自習で身に付けるというのは非常に難しいことだと思います。

ですが、当時の日本人としてこの課題を乗り越えられたことを以下のように表現されています。

「結局、最初私たちが蘭学を捨てて英学に移ろうとするときに、『これは数年の勉強の結果を空しくすることで、生涯二度の艱難辛苦だ』と思ったのは大間違いの話で、実際を見ればオランダ語といい英語といっても等しく外国語にして、その文法もほぼ同じであったので、蘭書を読む力は自然と英書にも適用されて、決して無駄ではなかった。」

このあたりのことについては、以前のブログ記事「日本だけが急激な欧米化に成功した理由」に詳しいのでそちらをご参照ください。

このようにして学友を得た福澤は、切磋琢磨して学ぶわけですが、発音などは自習ではどうにもならないという問題にぶつかります。しかし、ここでも福澤は素晴らしい動きをします。それは以下のようなものです。

「いよいよ英書を読むというときに、長崎から来ていた子供があって、その子供が英語を知っているというので、そんな子供を呼んできて発音を習ったり、又あるいは長く海外へ漂流していた者で、開国になって船で時々帰ってくる者があって、そんな漂流人が着くとその宿屋に訪ねて行って聞いたこともある。その時、英学で一番難しかったのは発音で、私どもは何もその意味を学ぼうというのではなく、ただスペリングを学ぶのであるから子供でもよければ漂流人でも構わない。」

この姿勢は、我々日本人としては大いに参考にすべきものだと思います。

なぜなら、この姿勢をとるためには、まず自分自身の自己分析によって、今の自分に何が不足しているのか、そして何は足りているのかを把握して、学習戦略を立て、それを可能とする機会を最大限に活用するというものだからです。

現在、多くの日本人が「使える英語」を学びたいと思って、様々な英会話学校に通っていると思います。しかし、その時に、福澤が行ったような自己分析と学習戦略の構築、そしてそれを可能とする機会の活用がきちんとできているでしょうか?

ランゲッジ・ヴィレッジにおいても、未だに、自らの現時点でのレベルとは全く関係なく、「講師は白人ネイティブでしょうか?」というような質問を受けることがあります。

そんな時は、特にこの福澤諭吉の学習姿勢をお伝えしたくなります。  

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