そんなことができるのなら、、、
2016年9月25日 CATEGORY - 日本人と英語
皆さん、こんにちは。
2016年9月17日の読売新聞に小学校英語教科化に関連して、「教員免許がなくても優れた経験があれば教員に登用できる「特別免許状制度」の対象を小学校英語にも拡大する方針を決めた。」との記事が載っていました。
そもそも、驚いたのは「特別免許状制度」なるものが既に1989年に制度化されていてそれは小中高校の全教科に導入されているという事実でした。
記事を読むと、それは知らないのも仕方がないことで、「審査の厳しさから授与件数は全国でこれまで延べ700件にとどまっている」とのことです。
私は、小学校英語の教科化については、いままで何度もこのブログにて批判的に論じてきましたが、その一番大きな批判理由が、教える側の体制も整っていないのに、「英語は早くからやらないよりかはやった方がいい」という世の中の期待に押される中で、ただやみくもに進めようとする戦略性のかけらも見られない教育行政の姿勢です。
英語に対して興味も能力もない小学校の教師に突然新しい教科としての「英語」を教えることを強要すれば、かえって英語に後ろ向きな小学生を大量生産することになり、労力をかけてマイナスの教育をすることになるとの最大限の批判を加えてきました。
今回の記事で紹介されている「教員免許がなくても優れた経験があれば教員に登用できる特別免許状制度の対象を小学校英語にも拡大する方針」は、一見そのような批判をかわすような妙案のように見えますが、詳しく読んでみますと、そのことはむしろ更に教育行政の戦略性の無さを露呈するような考え方だと分かり、ますます腹が立ってきました。
実は、記事によると、今回検討されている「特別免許状制度」の適用要件を「3年以上の海外勤務経験」や「600時間以上の英語の授業経験」とする方針であるらしいのです。
真っ先に私が思ったのは、「そんなことができるのなら、、、」です。
すでに現行の制度として認められているのであれば、なぜ、そのような素晴らしい英語経験のある人間を中学校における英語教育の現場に連れてこなかったのでしょうか。
英語を仕事で使った経験を通して、中学生に英語の必要性をいきいきと語ることができる人材を確保する制度があるのであれば、それは小学生にではなく中学生に予算を仕向けるべきなのです。
「英語の必要性」という抽象度の高い概念を理解させるためには、小学生よりも論理的思考ができるようになった中学生が圧倒的に有利だし、効果が高いことは明らかでしょう。それなのに、教育行政は、現行の制度であるにもかかわらずそれをほとんど活用して来なかったわけです。
それが、今回の小学校英語教科化に伴って、この制度を追加で当てはめるなど、戦略性がないどころか、何とか日本の英語教育をよくしようとする意志のかけらすら感じられないと言わざるを得ません。
おそらく、この制度の追加があったとしても、同じように「審査の厳しさ」から現実には使われることはあり得ないはずです。ですから、今回の方針も単なる批判かわしのパフォーマンスに過ぎないと思えて仕方がないのです。
どうしても、このテーマになると熱くなって議論が感情的になってしまいます。笑
理想の教育、本質を捉えた教育、これらの実現に少なくとも自分自身は邁進しようと思います。