日本企業では英語ができるとトップになれない?
2015年7月15日 CATEGORY - 日本人と英語
先日紹介した「英語オンチが国を亡ぼす」の中で著者の寺澤芳男氏は、「英語ができると日本では企業のトップになれない」というジンクスがあると紹介しています。
気を付けてください、「英語ができないと」ではなく、「英語ができると」です。(笑)
このようなジンクスは「英語ができなければトップになれない」という世界の常識に真っ向から刃向うものですが、日本の英語通の間ではまことしやかに(当時は)ささやかれていたといいます。
この理由として著者は、「人間の資質にはスペシャリストとゼネラリストの二種類があって、語学のできる人は所詮、いつまでたってもスペシャリストの域を出ず、多くの部署を経験してバランス感覚を身に着けたゼネラリストの敵ではなく、日本型経営の経営者には向かないという先入観」があったことをあげています。
もちろん、著者自身はこの点についてははっきりと、「英語能力と企業や組織のトップとしての能力は正比例も反比例もしない。英語ができるから経営能力がない、あるいは経営能力があるという因果関係はない。」といういたって当然の結論を導いでいらっしゃいますが、当時の日本企業を見渡すと、その当然の結論が当然でなかったことは事実のようです。
これは私の個人的な意見ですが、現在では、確かに「英語能力と企業や組織のトップとしての能力は正比例も反比例もしない。」けれども、時間に余裕のある学生時代に将来の必要性に鑑みて「英語くらいできるようにしておこう」と思えない人は、少なくとも社会のニーズをとらえることができないという意味で能力不足だと言われてしまうような状況にすらなっているように感じられますが、、、
しかしながら、当時のそのような風潮の中で、自他ともに認める英語のスペシャリストでありながら日本企業のトップに上り詰めた三菱商事の槙原稔社長(当時)という方を例外中の例外として紹介しています。
そして、彼の次のような興味深いエピソードを披露しています。それは、槙原氏が1992年に社長に就任したとき、三菱商事内の公用語を英語にしようと提案したというものです。
楽天の三木谷社長が社内公用語を英語にすることを実行したのが2012年ですから、それよりも20年も前に同じことを考えてらっしゃったということになります。
ですが、実際には「社員全員が日本人だけの場合も英語を使うということは不自然だし、第一、照れくさくてできはしないという反発が起こって、この槙原氏の提案は実行に移されなかった。」とのことです。
それに対する著者のコメントが、まさに楽天の三木谷社長が自社の社内公用語化に向けておっしゃった内容と全く同じなことに驚きました。
「私は三菱商事の社員の方々にこう申し上げたい。あなた方の反発は間違っています。確かに日本人同士が社内で英語でコミュニケートすることは不自然だし、面倒かもしれませんが、二~三年もたてば必ずやってよかったと思える時が来ます。」
著者のこの言葉からも分かる通り、「英語能力と企業や組織のトップとしての能力は正比例も反比例もしない。」かもしれないが、所詮「たかが英語」なのです。だったら、四の五の言ってないで、ちゃっちゃとできるようになっちゃいなさいよ、ということです。
それが、そのトップならばなおさら当たり前にです。