日本人と英語

村上春樹作品にみる仮定法

2022年6月5日 CATEGORY - 日本人と英語

英語関連書籍ではないのですが、前回代表ブログでご紹介した「三行で撃つ」という文章テクニックに関する本の中で、英語の学習に非常に有益な一節を見つけましたので、今回はそちらについて書きます。

その一節とは村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」に関する以下のようなものです。

「『僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を西に向かって飛んでいた。僕は深い傷を負い、羽には血の跡が黒くこびりついている。西の空には不吉な黒い雲が一面に広がりはじめ、あたりには微かな雨の香りがした。夢を見たのは久しぶりだった。』新鮮な文体でデビューした村上は、この作品を、最初、英語で書いたのだという。英語で書き、自分で日本語に戻す。そういう、トリッキーな方法で書いたと言うが、もしかすると、最初に英語で書いていたことと関係するのかもしれない。一文目から『~た』『~た』『~る』『~た』『~た』。日本語の時制で過去形、過去形、現在形、過去形、過去形の順に並んでいる。三番目に現在形が来るのは、それが現在の出来事だからというとそうではない。やはり、夢の話。語り手の視点からは過去形にならなければ、英語ではおかしい。実際、英語版ではこうである。『I was a big, black bird, flying westward over the jungle, a deep gash in my side, wings spattered with blood.』」

私は以前に「『仮定法』という名前は間違い?」という記事を書いて、英文法における「仮定法」の理解が日本人の英語学習者になかなか浸透しないのはその名称に問題があるからだという指摘をしました。

詳しくはそちらの記事を読んでいただければと思いますが、簡単に説明すると、「現実のこと」を表現する「直説法」に対して、「仮定法」は「心の中で思ったこと」を表現する方法を指し、具体的には「仮定」「提案」「願望」などを表現する文法形式です。

ですから、「仮定」というのはその中の一部にすぎず、総称としての名前を付けるのであれば、「想念法」とでもすべきものです。

そのような理由から、私が主宰する「文法講座」では「仮定法」の代わりに敢えて「想念法」と呼ぶようにしています。

実際には、世の中で使われる「仮定法」の表現としては圧倒的に「仮定」のパターンが多く、それ以外の表現を目にする機会はほとんどありません。(だからこそ、そのような命名がなされたと言えるでしょう。)

そのため、現実に使用されている「仮定」以外の「仮定法」の使用実例というのは非常に貴重なものとなるのですが、上記の村上春樹氏の文章に対する著者の指摘はまさにその貴重な事例ということになります。

が、ここで本当に野暮なことであるということを重々承知の上で、次の村上春樹氏の英原文とそれに対する著者の指摘に突っ込みを入れさせていただきます。

「三番目に現在形が来るのは、それが現在の出来事だからというとそうではない。やはり、夢の話。語り手の視点からは過去形にならなければ、英語ではおかしい。実際、英語版ではこうである。I was a big, black bird, flying westward over the jungle, a deep gash in my side, wings spattered with blood.」

著者は「羽には血の跡が黒くこびりついている。」という文がまさにこれが夢の中でのこと、すなわち「想念」の表現であることをもって「過去形(仮定法過去)」にならなければ英語ではおかしいと言っており、私もその指摘は全くその通りだと思います。

ただ、それを言うならそれより前の「僕は黒い大きな鳥で、ジャングルの上を西に向かって飛んでいた。」という文だって同じく夢の中のことであり、三番目だけでなく「僕は黒い~の香りがした」まで、日本語は「現在形」として、英語は全て「過去形(仮定法過去)」としないと片手落ちだと思います。

また、be動詞の「仮定法過去」にはいまだに「were」を用いますので、英語の「I was a big, black bird」は「I were a big, black bird」とすべきです。

とこのように一瞬だけ、ノーベル文学賞の受賞を毎年当然のことのように予想される大文学者である村上春樹氏と「文章道」の達人とも言うべき著者のマウントをとったかと思いきや、すぐに著者の次の指摘を見つけてしまいました。

「日本語の現在形時制は現在の状態や習慣だけでなく、過去、未来の意思も表せる。日本語には時制がないという学者さえいる。だがこれは日本語が曖昧だとか非論理的というのではなく、それだけ包容力のある時制、弾力のある言語だと考えた方がいい。現在形が、過去も未来も語る。語り手が自由に時間軸を移動する。臨場感を持たせる。語尾を少しずつ変えるのは、日本語でスピード感を持った、流れる様な文章を組み立てる要諦だ。単調な繰り返しを避ける、逆に続けて脚韻の効果を出す。いずれにしても文末の時制は繊細に考え抜いておかなければならないということだ。」

著者の指摘は、私のような文学音痴の理解をはるかに超える高いレベルの「レトリック」に関する指摘だったことを知り、御両人に対するこのような野暮で些末な校正などといったお恥ずかしい行為に至りましたことに関して心よりお詫び申し上げます。

それでも、村上春樹氏の英原文は確かに「仮定」以外の「仮定法」の使用実例という貴重な資料であることに変わりはありませんので、私は恥ずかしさを忍んで当記事をそのまま残すことを決断いたしました。(笑)