日本人と英語

英語が下手になってよかった? その2

2015年12月16日 CATEGORY - 日本人と英語

バイリンガル            

 

 

 

 

 

  前回に引き続いて、「英語が下手になってよかった」発言について考えてみたいと思います。 前回の記事で、著者のこの発言の真意は、「母国語を思考の基盤とし、英語を、その母国語による思考を経て創造した価値を英語圏に伝える「道具」として捉えられるレベルで身に着けている」ことを「よかった」としているのだと書きました。 まさに、このことは、「バイリンガル」の有り方について考えることに等しいと思います。

そこで、今回の記事では、そのことに関連して「バイリンガル」という状態の「程度」について考えてみたいと思います。 「バイリンガル」と一口に言っても、その言葉によって定義される範囲は画一的ではありません。本書では、その点について非常に分かりやすく解説されていましたので、まずはその点を抜き出してみます。 

バイリンガル           

 

 

 

 

図4は、その画一的ではないバイリンガルをそれぞれの程度に分けて示したものです。 まずは、図4aですが、これは知的な職業をこなせる平均的なモノリンガル(単一言語話者)の言語能力を表しています。白い部分が「会話言語能力」で、この能力の上に、色のついた部分すなわち「学習言語能力」がのっているということです。 このモノリンガルの「会話言語能力」と「学習言語能力」に対して、バイリンガルにおけるその二つの能力のバランスがどのようになっているのかというのが、バイリンガルという状態の程度ということになります。 ちなみに、図4bが「proficient bilingual」で平均的なモノリンガル並みの能力を両方の言語でも有している人です。ちなみに、これが理想ですが、こうなるためには、育てる側によほどの計画性と資金と時間がなければ実現しませんので、実際には非常にまれなケースと言えます。

そして、実際に多いのが、図4cの「partial bilingual」で、一方の言語については平均的なモノリンガル並みの能力を持つが、もう一方は会話言語能力のみで、学習言語能力はないか、低いという人です。通常、「バイリンガル」として我々が目にするのは、ほとんどこのレベルの人たちです。 なお、著者の考える最も健康的なバイリンガルは、このパターンで、しかも、母国語において、平均的なモノリンガル並みの能力を持ち、もう一方は会話言語能力のみで、学習言語能力はないか、低い状態だと思われます。

前回の記事における「植民地時代のインドのインテリ層」は、その逆のパターンだと言えそうです。ですから、著者が「英語が下手になってよかった」と表現する最近のインドのインテリ層は、もしかしたら、程度の差はあれど、前者のパターンを指していると思われます。

そして、最悪なパターンが図4dの「semi-lingual」で、どちらの言語も会話言語能力のみで、どちらの言語も学習言語能力がないか、または低い人です。 つまり、どちらの言語によっても、「おしゃべり」はできるけれども、「抽象的な議論」はできないということです。日本人の帰国子女と呼ばれる人の中のかなりの割合が実はこのパターンだともいわれています。

このような「バイリンガル」の類型を見てから改めて考えてみれば、著者のインド人に対する「英語が下手になってよかった」発言は、当然の発言のように思えてきます。 ですから、「日本人が英語を学ぶ」ということを戦略的に行うためには、やみくもに「バイリンガル」を目指すのではなく、確実に健康的な「partial bilingal」を目指さなければなりません。 そして、その目標をもう少し具体的に表現すると、前回の記事にて私が最後に書いた「英語のレベルとしては、道具として活用できる程度のレベルに固定し、母国語のレベルを常に向上させ、思考の深さをどこまでも追求することによって、あくまでも相対的に「英語下手」になる努力する」ということになるはずだと思います。