言語の「間違い」は宝
2014年10月26日 CATEGORY - 日本人と英語
先日、書籍紹介ブログにて「二ホン英語は世界で通じる」という本を紹介しました。
書籍紹介の記事では触れませんでしたが、その中で著者の主張する「エラオロジー:errorology」という概念に注目してみたいと思います。
エラオロジー(エラー学)とは、英語教育界ではエラー、すなわち悪としてみなされ、完璧でない英語であっても、それが実際には世界でどの程度通用するかといった研究をする著者が提唱する学問です。
つまり、「英語らしさ」という文法論理から生まれるただ一つの正解の背後にある何千、何万という生きたエラーの存在に関し、それらが社会的にどの程度通じるかを研究するものです。
この研究から何が分かるか。それは、言語の発達の歴史が、エラーとともにあるということです。
世界中の母語話者にしても、外国語としての英語学習者にしても、その学習過程においてはエラーはつきもので、エラーのない完璧な正解だけが「通じる英語」であるはずがないという事実が明らかになります。
そうであれば、エラーとは、悪として忌み嫌うものではなく、学習のプロセス上必要なものとして上手に付き合っていくべきものであるという考えにも行き当たります。
この考えに基づいて、著者はフリー・エラーの環境での英語学習の重要性を訴えています。フリー・エラー環境とはエラーが自由に許される学習環境のことです。
十分に間違いを犯してもいいという環境が与えられた学習者は、学習が進むにつれて言語システムの中に順応していき、間違いが少なくなり、定着の効率が高くなるということが分かっています。
すなわち、間違いながらも間違いを恐れないものが、結局は間違いの少ない英語を話すようになるという、言葉のもっとも自然な学習プロセスを再確認できるのです。
既に、ランゲッジ・ヴィレッジでは、会話の流れの中で英語の間違いを指摘しないというルール(こちら の2.を参照)があるのですが、これはまさにこの点を意識したものです。
未だに多くの生徒さんから、「間違いを逐一指摘してほしい」といわれるのですが、私たちは確固たる意思をもってこのルールを敷いています。この著者の指摘によって、このルールの意味合いを理解していただく材料が一つ増えたと思っています。
このように考えると、日本の英語教育において、唯一絶対の正解以外がすべて「間違い」として扱われるという事実は、そもそも、言語の発達の歴史の流れに逆らうようなものであるということになります。
以前に、鳥飼玖美子先生の「国際共通語としての英語」という本を取り上げたことがありますが、著者の考え方はまさにこの鳥飼先生の主張する国際共通語としての英語の存在意義に通じる考えだと思います。
鳥飼先生は、世界中で行われている英語における「共通語としてのコア」を探すという試みを以下のように紹介されました。
「このコアを見出す際、ネイティブスピーカーが基準となるのではなく、ノンネイティブ同士がお互いがお互いの英語を理解できるかどうかという「分かりやすさ」が基準となるという発想です。ですから、各国の人々に英語を話してもらい、その英語を理解できたかどうかを検証するという実験を積み重ねることになります。」
確かに、著者の主張するエラオロジーと国際共通語としてのコア探しは、根本のところでつながっていると思います。