日本人と英語

語彙は言語を使う人々の価値観を表す

2017年8月6日 CATEGORY - 日本人と英語

前回は、「英語語彙大講座」から英語の語彙の性質について考えましたが、今回は各言語間における語彙の意味する範囲について考えてみたいと思います。

言語、そしてそれを構成する部品である語彙は、そもそも記号に物事の意味を押し込める「お約束」によって成立しています。

ですから、言語ごとによってその「お約束」は異なってきますので、いわゆる言語同士の一対一の対訳はできないと考えるのが自然です。

ですが一方で、ある程度「対訳ができる」という仮定をしないと、辞書の存在も否定しなければならないので、だましだましやっているというのが、外国語の学習の運命かもしれません。

この「お約束」の範囲は、基本的にはその言語を母国語とする人たちにとって重要なものは細かく分類され、あまりなじみの相ものは大雑把にしか分類されないと言われています。

例えば、日本人にとって重要な食物である「米」については、英語ではひとこと「rice」で片付けられてしまうのに対し、日本語では「稲」「米」「ごはん」という具合に、逆に欧米人にとって重要な麦については、「barley」「wheat」「oat」「rye」のようにその形態や状態ごとに語彙が存在するのに対し、日本語では、麦に「大」「小」などをつけるだけで済ませてしまいます。

また、日本では家族主義の文化が当たり前だった時代が長かったので、「姉」や「妹」、「兄」や「弟」といった長幼の区別ごとに語彙が存在するのに対し、英語には「sister」「brother」しかありません。

このことについては、実際にアメリカ留学時代の初めのころ、私自身非常に違和感を感じたのですが、生活していくにしたがって、その違和感が薄れていったような記憶があります。

同じようなことで、「先輩」という意味の英語がないということにも同じような感覚を覚えたものです。

前回の記事で、英語の語彙が他の言語よりも多い理由として、様々な民族がブリテン島に訪れ、その都度既存の民族を征服することで多くの言語を取り込んでいったことをあげました。

その中で、アングロサクソン人がノルマンディー侯爵によって征服された、いわゆるノルマンコンクェストの時代がありましたが、それ以前には英語には、beef、 pork 、mutton なる語彙はなく、ox meat、 pig meat、 sheep meatというように「肉」と「動物そのもの」の区別はなかったのでした。

これも、豊かな食の文化を有するフランスと食には興味を示さなかったアングロサクソンの違いが言語に表れていると言えます。

つまるところ、この現象は言語にはその言語を母国語として使用する人々の「価値観」が色濃く反映されているととらえるべきだと思います。

そのことを前提にして考えると、英語が国際共通語となりつつあるということは、どんどん言語としての「価値観」を薄めていくことでもあると思われます。

ますます、アメリカ人やイギリス人の「私たちはそうは言わない」という指摘の重要性も弱まっていくのではないでしょうか。