日本人と英語

日本人が英語を学ぶ必要がなくなったら

2025年11月25日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「 AI時代になぜ英語を学ぶのか」からテーマをいただいて書いていきますが、第一回目のテーマは日本人が英語を(コミュニケーションツールとして)習得する必要がなくなった場合に英語を学ぶことの「メリットとデメリット」についてです。

上記メリットを考えることは、「ロープウェイが存在している山の頂上に徒歩で行くか、ロープウェイを使って行くか」問題を考えるのと同じことではないかと著者は私たちに問いかけます。

もちろん、ロープウェイの金額が自分の財布の中身からして十分に安い場合には、ほとんどのケースでそれを使うという選択を私たちはします。

なぜなら、「時間」という資源が限られていて、徒歩で行くと運賃よりもその時間資源の価値の方がコスト高だからです。

それと同じように、英語のコミュニケーション機能をAIにアウトソーシングしてしまえば、英語習得にかかる膨大な時間と労力を節約でき、それによって浮いた時間と労力を他の目的に使用できるようになります。

このことを著者はノーベル賞受賞者である益川敏英氏を事例として、次のように説明しています。

「彼は授賞スピーチを英語で行いませんでした。そのことについて英語が話せないなんて日本人として恥ずかしいと言った意見も聞かれました。しかし、彼はこれを気にも留めず、自分は英語が苦手だ、それはみんなが英語の勉強をしているときに英語を捨てて数学と理科の勉強をしていたからだという主旨のことを述べています。もし若いころの益川さんが苦手な英語を克服するために英語の勉強に時間を割いていたらと考えるとちょっと怖くなります。英語のために数学と理科の勉強時間が削られるわけですから、最悪、このノーベル賞もなかったかもしれません。」

つまり、益川氏は、数学と理科においては少なくともアメリカ人と同じ土俵でノーベル賞を取りに行くことができたということです。

これが、英語(言語)学習の意義を「コミュニケーション的意義」と捉えたときの見方です。

つまり、それをAIにアウトソーシングできるにもかかわらずそれでも英語学習に時間をかけることは国際競争上「デメリット」になりうる可能性の指摘です。

しかし、著者はもう一つの意義、すなわち「教養的意義」についても言及することを忘れてはいません。

このことについては、私自身も、自著「富士山メソッド」にて、日本語というマイナー言語を使っている私たち日本人はアメリカ人と比べて「損」な国民なのかという議論をしたことを少しだけ取り上げたいと思います。

その議論とは、リンガフランカと化している英語を母国語とするアメリカ人は、英語という言語を前提としたものの捉え方しかできないが、日本語というマイナー言語を母国語としている日本人は、彼らとは異なる思考の基礎を持っていることから「差別化」が自然と生じ、それを英語という言語に載せて広めることができるから「得」だというものでした。

つまりは、アメリカ人と同じ土俵どころか、英語を学ぶ日本人だからこその土俵づくりといえるかもしれません。

次回以降、この「教養的意義」について議論を深めていきたいと思います。

 

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