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リンカーンのように立ち、チャーチルのように語れ

2018年7月22日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

日本人の多くが苦手とする「人前でのスピーチ」。

私も、立場上、比較的スピーチの機会は多い方ではありますが、毎回もっと上手に、もっとスマートにできたはずだと反省はすれど、満足した経験はほとんどありません。

そんな難しい「人前でのスピーチ」ですが、歴代のアメリカ大統領4人(アイゼンハワー、ニクソン、フォード、レーガン)のスピーチライターをつとめたジェームズ・ヒュームズ氏によって書かれたスピーチテクニックの解説本「リンカーンのように立ち、チャーチルのように語れ」を読みました。

本書を読んで一番印象的だった部分を二つ以下に引用します。

「説得力をもって語る人は、たいてい冒頭から力強いメッセージを発する。感謝したり、聴衆をほめたりして、愛想よく話はじめたりはしない。例えば、『皆様の前でお話しできることをうれしく思います。みな様が市民として地域に貢献しておられるのを、かねてより大変尊敬しておりました。』というような陳腐で、退屈で、くだらない話で。劇的な知らせや驚くような事実がある場合は、それを冒頭で明かすといい。1941年のルーズベルト大統領のようにいきなり、『昨日、12月7日―将来、恥辱の日として記憶されるであろうこの日に、真珠湾が突如、意図的に攻撃されました。』」

「ローマの偉大な演説家カトは『伝えたいことを定めれば、言葉はおのずと出てくる。』と言っている。現実には、あまりにも多くの人が、伝えたい内容から脱線した話をしている。そしてチャーチルは『人前で話す人は多いが、頭の中で考えている人が少なすぎる。目的のない話には軽蔑を隠し切れない。』と述べている。」

ルーズベルトのように冒頭からいきなり「劇的な知らせや驚くような事実」を明かすことや、カトやチャーチルのように「話す前に頭で考え、話す目的をはっきりさせる」ことがいいことは、多くの人間が分かっていることです。

でも、それが分かっていながら多くの人は、どうしても「陳腐で、退屈で、くだらない誰も聞きたくもない感謝や愛想」を振りまいてしまうのです。

私はそれは、自分が聴衆の目と耳を集めてしまっていることへの「言い訳」の姿勢の表れではないかと思うのです。

自分の至らないスピーチに保険をかけるということです。

ですが、チャーチルは、スピーカーが聴衆の目と耳を集めてしまっているからこそ、その時間を無駄にする行為に対して、「軽蔑を隠し切れない」という厳しい言葉を発しています。

なぜ、チャーチルは「軽蔑」という強い言葉を使ってまで、その姿勢を非難するのでしょうか。

それは、スピーカーが人前で10分間話をするということは、聴衆の人数×10分間という大きな時間を奪ってしまっている責任についての認識がないことへの警鐘のように感じます。

「人の時間を奪うことへの『覚悟』を明確にしろ。」

スピーチをする機会を得たらかならず、チャーチルの顔を思い浮かべながら、この言葉を思い出そうと思います。

毎回、彼の顔とこの言葉を思い出しながらスピーチに取り組むことになれば、いつかはもっと上手に、もっとスマートにできるようになるのではないか、そんな可能性を感じられる強いメッセージでした。