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国立大学費150万円への提言について

2024年5月15日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

本日(2024年5月15日)の読売新聞の記事に、「慶応義塾大学塾長が国立大学の学費を150万円にすべきと提言」というニュースがありました。

以下、当該記事を要約します。

「2024年3月に開かれた高等教育の将来像を議論する中央教育審議会で、伊藤公平・慶応義塾長が行った『国立大学の学費を年間150万円へ』という提言が波紋を広げている。奨学金の拡充とセットで学費値上げを主張する内容で委員を務める伊藤氏は『高度な大学教育を実施するには、学生1人当たり年間300万円は必要』『国立大の家計負担は(その半分にあたる)150万円程度に引き上げるべきだ』と訴えたが、実現すれば国立大の学費は約3倍に跳ね上がり『低所得層が進学できなくなる』などの指摘が出ている。伊藤氏の提言の背景にあるのは、現状の大学教育への危機感だ。伊藤氏は取材に『AIなど科学技術はますます発展する。文系理系を問わず高度な人材を育てるにはお金もかかる』とし、『高等教育に必要な費用について問題提起したかった』と述べた。国立大は2004年の法人化以降、国からの運営費交付金が減らされ、人件費や研究費の削減を迫られてきた。一方で、現在の国立大の授業料は53万5800円で、20年近く据え置かれたままだ。伊藤氏は『給付型の奨学金を充実させ、だれもが安心して大学に進学できるようにした上で、払える人には払ってもらうべきだ』と話した。」

花巻東高校出身の佐々木選手がスタンフォード大学への進学がニュースになった際、4年間の学費と生活費の合計が5000万円以上(ただし彼の場合はフルスカラシップ=全額免除)であることが報道され、アメリカの大学の授業料との比較でいかに日本の大学の授業料が安いのかというのを思い知らされた日本人は多いと思います。

それは私立大学も含めてですが、国立大学の授業料で比較するとその差は圧倒的に感じられます。

アメリカの一流大学ではそれくらいかかるということは、要するに世界的に一流の教育水準を維持するためにはそれが妥当な金額ということであり、この慶応大学の伊藤塾長の指摘はそこまで的を外してはいないと思われますが、日本では教育だけは親の貧富の差に関係なく、頑張れば本人が望む教育を受けられる仕組みとして国立大学(現在は国立大学法人)を維持するというアメリカとは異なる日本独自の政策の結果であったはずです。

しかし、そうは言ってもこの国立大学と私立大学の授業料の差、特に医学部における差は説明ができるレベルを完全に超えていると思えます。

その理由は、国立大学に入学するためにはあまりに苛烈な競争を強いられるため、小学校のうちから教育にお金をふんだんにかけられる裕福な家庭の子供たちが圧倒的に有利となり、結果、その優遇された低額の授業料の恩恵を受けられるのは、低所得層出身者ではなくむしろ高所得者層であるという矛盾した状況が目立つようになっているということです。

これは、もはや先述の政策の趣旨からは完全に外れていると言わざるをません。

このことに関連してもう一点、これは私が地方の住人だからこそ感じられることですが、地方での(手術などができる大病院)医師の不足がかなり深刻化してきており、近隣の市立病院などでは整形外科を維持することができず、このタイミングで交通事故にあったらアウトだなどという会話が結構頻繁にそして真面目になされています。(東京から新幹線で一時間ちょっとの静岡県内でこんな状態ですから全国的にはもっとひどいはずです。)

ならば、今回の伊藤塾長の考えとは異なってしまいますが、その差を維持しつつも、少なくとも医学部に関しては、他の学部とは比べ物にならないくらい大きな国私立差があるわけですから、その差を解消するくらいまでの期間はその大学が立地する道府県での勤務を義務付ける(ないしはそれを拒否するなら差額を請求する)などの仕組みにするべきではないでしょうか。

憲法にうたわれた「職業選択の自由」を奪うことになるのではないかという議論もありそうですが、自治医科大学のようにそれを現実に実施している事例もあるわけですから、全国の国立大学の規模で同じことをやることで、前回の「地域格差の正体」の記事で取り上げた「高速道路料金のサブスク化」に迫るような圧倒的な地域格差是正策につながるのではないかと思います。

そうすれば、これからも日本がアメリカとは異なる教育観を維持するということになろうとも、それを維持していける合理的な理由となるはずです。

 

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