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教育のイノベーション

2016年12月11日 CATEGORY - 代表ブログ

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皆さん、こんにちは。

だいぶ前に、ハーバード大学のクレイトン・クリステンセン教授の書かれた「イノベーションのジレンマ」をご紹介しましたが、この考え方を教育に当てはめて教育のイノベーションについて考えた「教育×破壊的イノベーション」を読みましたのでご紹介します。

まず、本書の冒頭で次のような問題意識を共有させます。

「あらゆる業界において日本企業に追い抜かれた1980年代のアメリカにおいて、日本はなぜこれほどまでの結果が出せるのかということが問題になった時、その理由としてあげられたのが、日本の人口はアメリカの4割しかないのに、理工系学問を学ぶ大学生がアメリカの4倍もいるという事実だった。しかし、日本が繁栄を遂げると理工系の学生の割合は低下し、日本企業の勢いも衰えることとなった。」

以上の現象は、日本がアメリカを追いかけているときは、理工系という七面倒くさい学問をやることによって、貧困から抜け出し、高賃金を得られるからという「外発的動機付け」によるもので、一度豊かになってしまうと、その要因は機能しなくなり、逆にこの段階に至った場合に機能するのは純粋にその学問を学ぶこと自体から発せられる刺激そのものである「自発的動機付け」だけになってしまうためだという「動機付け」理論で説明されます。

このことは、日本に限らず、現在急速に発展を遂げている新興国についてもいずれ同じことになるはずです。

ですから、勉強をしない子供に、「貧しい国には学校に行きたくても行けない子供だっているのよ!」と言って聞かせたところでどうにもならないわけです。この時、教育する側がすべきことは、学問を本質的に面白く見せることだけです。

そのための方法として、本書であげられている解決方法は、それぞれの生徒が中心の「個別対応」です。

本書にも挙げられていますが、学校の勉強ができる、できないという表層的な結果は、それぞれの生徒の持っている「知能のタイプの違い」を無視して、「標準化された教育」を押し付けときに、たまたまそれにぴったりと合うタイプの知能の形を持っているかどうかが表れているに過ぎません。

つまり、たまたま合うタイプであれば、勉強が「できる」、合わないタイプであれば「できない」という風に方付けられてしまっているだけです。

この問題を解決し、すべての生徒を勉強が「できる」結果に仕向ける方法が、完全な生徒中心の個別的対応によってすべてのタイプの生徒に腹落ちさせることなのです。そして、「腹落ちさせること」がまさに、学問を本質的に面白く見せることに他ならないのです。

実は、私たちランゲッジ・ヴィレッジはこの解決方法を経験的に導き出し、実際の授業に取り入れて成果をあげています。それは、2泊3日で中三文法を血肉にする文法講座」のことです。

この講座は、1クラス8名までの少人数制にて行っており、ほぼ完全な生徒中心の個別的対応が可能となっています。つまり、生徒それぞれの知能のタイプやスピードの違いを受け入れて、すべてのタイプの生徒に腹落ちさせることができるまであきらめない指導を行うということです。

そして、私たちはこのことを可能とするギリギリの生徒数というのが8名だと判断しているのです。

しかし、このことを公教育にそのまま持ち込むことは不可能です。相当にトレーニングされ、二日間みっちり生徒に寄り添う講師を8名という限定人数に対応させるためには、二日間で約9万円というコストを要求しなければならないからです。

そこで、本書が公教育において上記を実現するために提案するのが、コンピューターの活用です。

しかし、現在、学校教育においてはその活用は殆どと言っていいほど効果的に行われていません。それは、教える側が全く変わらないからです。

教師は、30年も前のコンピューターが教育の現場に登場する以前から、現在に至るまでくる年もくる年も画一的な授業を繰り返しています。そこに、コンピューターの効果的な使われ方の余地はほとんどありません。

ですが、今ようやくコンピューターとネットワークの力が、「一人一人の生徒が自分の学び方に合わせて方法を巧みに変えながら各科目を教えてくれる家庭教師」のような存在を実現可能なものにする段階に近づいてきています。

これを、効果的に教育の現場に導入することに成功すれば、教師は、画一的な授業の繰り返しから解放され、生徒の間を回って一人一人の個別的な問題を解決するサポートに徹することができると著者は信じているようです。

私も、この教育のイノベーションを信じてみたい気にさせられました。