文字は文化の灯
2017年5月26日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
前回は「なぜアマゾンは1円で本が売れるのか」という本を題材に「メディア」とその上に乗るべき「コンテンツ」の戦いについて考えてみました。
そしてそのポイントが、ネットが出現したことによって、二つの主従の関係が逆転したことにあることが分かりました。
本書には、ネットの出現よりもずっと前にも、「メディア」と「コンテンツ」との間にはその主従が逆転しないまでも、それに負けず劣らず大きな事件があった歴史的事実が書かれていました。
それは、「活版印刷技術」が「電算写植技術」にとってかわられた時のことです。
15世紀にドイツのグーテンベルグによって発明された活版印刷技術による印刷を日本で最も早い段階で廃止し、コンピューターのディスプレイ上で文字組の指定を入力確認して印刷をする仕組みである「電算写植技術」に変更したのは日本経済新聞社でした。
「電算写植技術」には、この説明を聞いただけでも、一つ一つの金属の小さな版を手で組み合わせて行う「活版印刷技術」とは時間にもコストにも天と地との差があることが分かります。
それは、1978年のことでしたが、当然のことのように様々な新聞社や印刷会社が日経に追随しました。
ところが、それから14年もの間、苦悩しながらも「活版印刷技術」を手放さなかった印刷会社がありました。
それは京都にある中西印刷という会社です。
この会社は、1865年に木版印刷を手掛け、1870年には活版印刷に軸足を移した老舗です。
土地柄もあり、京都大学の人文科学研究所のような研究・調査機関の刊行物の印刷を多く手掛けることから、膨大な種類の漢字の数が必要でした。
そのため、「どんな漢字でも印刷できる」というのが中西印刷の強みで、先代の社長はそれを誇りとしていました。
そこへ、東京のマーケティング会社に勤めていた息子が入社します。
当然、彼は、時代の流れやコストについてを考え、いつまでも「活版印刷技術」にこだわっているわけにもいかないと判断し、中西印刷でも全面的に「電算写植技術」に移行することを提案します。
しかし、先代の社長もそう簡単には首を縦に振りません。そして、次の言葉を息子にかけます。
「中西印刷にはどんな文字でもそろっているというのが自慢やし、お客さんもそれをあてにしてきてはる。これだけは金でいうてるんやない。たいそうに言うたら文字文化の灯を消すことになる。わしはそんなこと我慢ならんのや。」
そこで、息子は次のような決断をします。
「今は活字を廃棄せなしゃあない。そやけど、今うちにある字は何年かかっても、電算写植の中によみがえらす。」
そして、先代は次のように返します。
「わしが一番心配やったのはそれなんや。印刷はな、ただの産業と違うねん。文化を支えているんや。この一本一本の活字が積み重なって文化を形作ると思えばこそや。そら、電算写植や平版やいうて、合理化していってもええやろ。そやけど、合理化して近代化して、前より文化の水準を下げてしもたらなんにもならん。」
こうして中西印刷においても活版の廃止は決まりました。
私は先代社長の最後の言葉を聞いて、自分が冒頭で「ネットが出現したことによって、二つの主従の関係が逆転した」と簡単に書いてしまったことを恥ずかしく思いました。
上記の言葉を過去形で確定的に表現したのは軽率だったと思わざるを得なくなってしまったからです。
いま私たちは、この先代社長の心配に対して、その十分の一でも共感できるだろうかと自問すべきではないでしょうか。