時間の不思議
2022年1月24日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私は以前に「人は47歳で人生の80%を消費する」という記事を書いて、
「人間の時間に関する感覚は、年をとればとるほど短く感じられる」
という事象について考え、その「答え」を、
「5歳の子供にとっての1年は、人生の1/5だが、80歳の老人にとっては1/80というように分母が大きくなることで体感的なインパクトが少なくなるから」
とすることで納得していました。
ところが先日(2022年1月19日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」にこのことに関する少し違った見方による「答え」が紹介されていましたので以下に引用します。
「哲学者の中村雄二郎さんは心持の違いに焦点を当てる。若い人は未来に生きていると中村さんは言う。<未来に生きるとは待つことであり、待つとき、時間は引き延ばされるのである>(随筆:時間の不思議)。待つことと体感時間の関係には多くの方がうなずくに違いない」
「分母が大きくなるから」という説明にて完全に納得してしまっていた私ですが、特に目的もなくただ「過ぎる」1時間と大切な人を「待つ」1時間とを比べれば、同じ年齢の中にあっても、その長さの感覚が全く違うということを確かに経験しているわけで、こちらの説明の説得力の強さに感心させられました。
ということは、いくら年を取って分母を大きくしてしまったとしても、常に大切な何かを「待つ」姿勢で人生を生きていれば、時間の感覚は変わることがないということでしょうか。
毎年毎年確実に「短く感じられる」私としては、大変反省させられる寸評でした。