未知に取り組むということ
2017年10月25日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
「読書の方法」を読み、前々回、前回と二回にわたって既知を読む「アルファ読み」と未知を読む「ベータ読み」の違いについて学びました。
その中で、未知を読む「ベータ読み」の典型として「外国語」を読むことをあげ、またその外国語に対して、自分がその言語圏で初めて取り組むケースをその極めつけとしてあげています。
その際の様子が臨場感をもって描かれている貴重なものとして、杉田玄白の「蘭学事始」をあげられていましたので、その臨場感をより感じられるようにと、少し背伸びをして現代語訳ではなく、当時の文体にて読んでみることにしました。
物語は、杉田玄白が「ターヘルアナトミア」の原書を手に入れるところから始まります。
当時彼は小浜藩の藩医であり東洋医学のスペシャリストであって、蘭学者でも西洋医学者でもありませんでした。
そんな彼がオランダの解剖書「ターヘルアナトミア」に出会い、その内容に興味を持ち、藩に相談して購入してもらいます。
もちろん、彼自身オランダ語を理解することができないわけで、この本がどこまで価値のあるものかということを把握することができません。
そのため、まずはこの書物の信憑性を確かめるために、罪人を死罪にする刑場に行って刑の執行人の助けを借りて実際の人間の臓器とターヘルアナトミアに書かれている図とを比べました。
そこで彼はそのあまりの正確性に驚き、この本に書かれている内容が非常に価値の高いものだという確信を得たのです。
その確信を得た彼は、前野良沢をはじめとする自分の知り合いでオランダ語を少しでも解する人々に協力を要請し、ターヘルアナトミアの「ベータ読み」を開始し、なんとか日本語に翻訳しようとします。
上記のように、彼が協力を仰いで集まったチームは、所詮「オランダ語を少しでも解する人々」の集まりであったため、スムーズには翻訳は進まず、結局4年という歳月をかけて行われることになりました。
その4年のうちの最初の3年間は、今まで日本では「腑分け」と呼んでいたような作業に対して「解体(解剖)」という新訳語を当てたりするなど、翻訳というより新たなる言葉を自分たちで創造するような「苦労」を積み上げることになり作業は遅々として進まないという状況が続いたようです。
ところが、3年を過ぎるころから、少しずつそれらの努力の点と点が線となって結ばれていくように、長い間解けなかった疑問が一気に解けていくようなことが、頻繁に起こるようになったようです。
それによって、作業は格段にスピード感をもって進み「おもしろみ」や「喜び」を感じられるようになっていったと言います。
このことは、最初の3年間が、一つ一つの未知なる言葉に対して仮説を立て、様々な試行によってその仮定を一つ一つ証明していくような気の遠くなる作業を継続するようなフェーズであったことを意味していると思われます。
まさにこの部分こそが「ベータ読み」そのものであり、その恩恵としてその後のスムーズな部分が「アルファ読み」であるととらえられるのだと思います。
私たちが外国語を学習する上では、彼らが味わったほどの「苦労」を感じるということはまずないと思われますが、やはり程度の差はあれ、このようなフェーズをある程度は覚悟して臨み、のちの「おもしろみ」や「喜び」を感じられるような「アルファ読み」という恩恵を得られるまでは、継続できるようにしたいものです。