資本主義という謎
2013年7月14日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
「資本主義という謎」という本についての感想を書こうと思います。
1991年にソ連が崩壊してからは、「資本主義」が疑いのない唯一の経済基本原理のように考えられているように思います。
本当にそうなのだろうか?と常に考えています。
私が考えるくらいですから専門家はもっと考えているでしょう。
しかし、それに代わるもっと良い考えがどうしても見つからないというのが、今のところの答えではないでしょうか。
この本の中でも紹介されているチャーチルの民主主義に関する言葉、「民主主義は最悪の政治形態であると言える。ただし、これまで試されてきたいかなる政治制度を除けば。」が、もっとも資本主義についてもあてはまるのではないかと思います。
本当にそうなのだろうか?と考えるときにいつも思うことが、例えば大手のショッピングモールが出店による影響などです。
私が住むような田舎にとっては非常にありがたいことです。最先端の商品を田舎でも簡単に、そして安く、多くの選択肢の中から選んで手に入れることができるようになるからです。
しかし、今までの地元の商店さんには大打撃です。
そして、大手のチェーンは全国的な仕入れルートから商品を仕入れますので地元の卸も相手にしてもらえません。
地元民とすると消費者としてはうれしいですが、しかし地元民は同時に消費者の前に労働者でもあります。
消費者として活動するための資金を労働者として獲得する必要があります。
しかし、地元全体としては地元の商店や卸事業者としてやっていた時よりもずっと少なくなってしまうでしょう。
そうなると、大手のチェーンの売り上げにもいずれは跳ね返ることになるかもしれません。
こう考えると資本主義の発展は人類を最終的に幸せにするのだろうかという疑問がわいてしまうのです。
この点についてこの本の中に非常に示唆に富む言及がありました。「資本主義は中央に対して「周辺」が存在している限りにおいてのみ成り立つ」という考えです。
資本主義は中央(先進国)が周辺(後進国)が効率的に利用できない経営資源を安く入手し、それに手を加えることで付加価値を生み出し富とすることで初めて成り立つものであって、周辺が成長しすべてが中央になってしまったら、成立しえないということです。
中国の発展や東南アジアの発展、それから最近では、ミャンマーがアジア最後のフロンティアといわれたり、アフリカが地球最後のフロンティアだといわれたりしています。
もはや、周辺がなくなりつつあるということかもしれません。
今までの地球上の人口構成では、ほとんどが周辺で一部の中央が富を独占することで資本主義が「問題なく」機能していました。
しかし、このような状況の中で、今まで周辺で甘んじてた国々が今度は中央としてふるまいたいといったときに今まで中央でやりたい放題だった国々が、それを拒否することはできるでしょうか。
先ほどの、大手チェーンの話とこの話は通じるところがあるかもしれません。
今までは、地元の経済はクローズドでした。
ですから、もしかしたらぬるま湯の経済で何とかやってこれたかもしれません。
しかし、資本主義が発展すると、周辺自体がなくなってくるのです。
みんなが一斉に中央として経済に参加しようとすると、そもそもそれを前提としていないので、人類が消費者と労働者という二つの側面の板挟みになってにっちもさっちもいかなくなってしまうのです。
残念ながら、この本では資本主義の限界の意味を非常にわかりやすく説明してくれていたのですが、その次に来る「解決策」としてのイデオロギーを提示してはくれていませんでした。
この解決策については、今まで資本主義のうまみを享受してきた先進国の責任として資本主義が何とかもちこたえている間に導き出さなければならないものだと思います。