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都立高入試に「話す」英語導入

2017年12月25日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2017年12月14日)の日経新聞電子版に「都立高入試に「話す」英語導入」との記事がありました。

「東京都は14日までに、都立高校入試の英語で、受験生の話す能力を評価する試験を導入することを決めた。公立高校の入試で一律にスピーキング試験を課すのは全国で初めて。都は2018年度中に導入時期や方法などを決めた上で19年度から試行を始め、その結果を踏まえて全面実施する方針だ。スピーキング試験の導入にあたっては、資格・検定試験を手がける民間団体と協力する。出題範囲は中学校の学習指導要領の範囲内。既存の検定試験を活用するか、新たに試験をつくるかは今後検討する。」

この記事を読んでまず思ったのは、「話す」試験を導入する前に、中学校で「話す」授業を導入できているのかを改めて点検するべきではないかということです。

これを「ALTによる授業を確保している」というハード面ではなく、「一人一人が会話をする機会を確保する」というソフト面において考えてみる必要があります。

その意味では、はっきり言ってほとんどできていないはずです。

そもそも「話す」ということを鍛えるのに、一クラス40名ではどうにもならないからです。このような大人数の環境の中で発信力を鍛えようとするのなら、せいぜい英作文の力を鍛えることぐらいにとどまってしまうはずなのです。

しかしながら、昨今の学校教育のオーラル重視への変更によって、英作文はほとんど取り扱われなくなり、その代りに、ALTによる授業が組まれていますが、その実態は彼らをテープレコーダー代わりにしている発声レッスンにとどまっています。

そのような状況の中、高校入試という生徒を「選別」する試験においてスピーキング試験を導入するということは、あまりに無謀です。

また、「話す」ということの性質上、面接のように他の試験結果を補完する情報として利用するくらいに留めるべきであり、完全なる点数化にはそぐわないと思われます。

それでも、断行することになれば、必ず受験産業はここにも目をつけることになるでしょう。

そうなれば、「話す」ということの定義自体がゆがめられ、コミュニケーションの本質からずれたものになってしまう危険もはらんでいると思います。

あくまでも「話す」という力は、人間と人間とのぶつかり合いの中で行われる活動であるため、その力を測定するには、時間も手間もそして、能力も必要となります。

このことについては、私たちはSEACTテストの運営でこれでもかというくらいに感じていることです。

是非、熟慮を重ねた上で進めてほしいと思います。