
教育ビジネス
2025年9月11日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
先日(2025年9月4日)の「子どもの集中力を守る大人の努力」の記事において、子供の成長に対するスマホによる集中力の収奪の悪影響と大人によるその回避の努力について見ました。
それは、時代の進展による教育に対するマイナスをどうするのかという議論ですが、時代は確実に進展しているわけなので、本来であれば、教育に対してどのようなプラスをもたらすのかという積極的な議論をすべきところだと考えます。
そのヒントになりそうな「教育ビジネス」という本(なんといっても副タイトルが「子育て世代から専門家まで楽しめる教育の教養」というプロアクティブさですから)を読みましたのでご紹介します。
まず、印象的だったのは冒頭「はじめに」の著者の次の言葉です。
「教育の世界はすでに学校教育を経験した私たちの時代とは大きく形を変えようとしているのです。その背景にあるのは、現在進行中の『情報革命』です。私たちは、人類史上3度目の社会革命が起こり、社会の形やあり方が大きく変わる時代に生きているのです。」
今が、情報革命の真っただ中だという指摘は他でも多く聞かれるものですが、実際に人類史上の残りの二つと同列におかれてみると、そのインパクトは途端に大きなものに感じられました。
というのも、人類史における三つの社会革命とは、農業革命、産業革命、情報革命ということになりますが、少なくとも私たちが歴史で学んだ農業革命、産業革命という二つの革命の前後では人類のあり方そのものが変わってしまったくらいに大きなことだったと知っているからです。
農業革命は別にしても少なくとも産業革命に関して言えば、実際に教育は非常に大きな役割を果たしました。
特に日本においては、明治維新に伴って、先行する西洋によって「標準化」されたものを、出来上がった「制度」として導入したことで非常にうまく機能したという奇跡的な成功体験があります。
「産業革命」の時とは対照的に、日本は現在進行中の三つ目の社会革命である「情報革命」においては、かつての奇跡的な成功体験があるがばかりに、その制度にしがみついてしまうことしかできないという点において、他の国々とは事情が違ってしまっているのではないかとの問題意識を持っています。
この私の問題意識に対して、本書がどんなふうに変化を与えてくれるのか楽しみにしながら読み始めました。
そもそも私がこのような問題意識を持ったのは、「現状変化がほとんどない」ケースと「あまりにも拙速に変化させてしまったために混乱している」ケースと、どちらもうまくいっていないものばかりが目立つように感じているからです。
本書の冒頭では、この問題に対処するために非常に明確な指針を与えてくれる一節がありましたので以下引用します。
「カントは人間を社会的に育てるためには、教育活動を社会の中で組織的に行うことが必要だと考えました。このような教育活動では、これまで社会が蓄積してきたものを継承することになります。これが『過去に脱帽すること』つまり、歴史的系譜を伝承することです。これは一見窮屈にも思えます。しかし、私たちは過去を学ぶことによってそれに縛られてがんじがらめになっているでしょうか。私たちは過去を継承するという側面とともに、未来に向かって歩むことができる創造的な存在という側面を持っています。私たちが未来に向かって進んでいくとき、過去は束縛ではなく、未来を作るための土台となります。私たちが社会を継承しつつ社会を創造する存在だからこそ、過去に学ぶことが重要なのです。」
このようなテーマの書籍ですから、とにかく「新しい教育」に変えていくことが重要なのだという論調だろうと思い込んで読み始めたのですが、冒頭で拙速に過去の教育を完全否定して、「違う何か」に全振りしてしまう変革への警鐘を鳴らす本書に逆に信頼感を高めることができました。
それでは、過去を土台とした社会を継承しつつ社会を創造することつなげる「新しい教育」とはいったいどんなものなのか、本書からその実例として「コンピテンシー(何ができるか)ベース」の教育が挙げられていましたので以下に詳述します。
「現在学校教育では、コンテンツベースの学びからコンピテンシーベースの学びへの転換が叫ばれています。コンピテンシーとはどんな知識や技能(コンテンツ)を持っているかという『習得』に加えて、どのようにそれらを用いるかについて考える『思考』、そして実際に用いる『行動』を含む概念です。そしてどのように学ぶのかも大切です。資質や能力の育成を図るために学ぶ内容を精選するだけではなく、従来の学び方も変えなければなりません。そのため、『主体的・対話的で深い学び(従来からアクティブラーニングと呼ばれているもの)』という概念が提唱されています。」
これは、かつては学歴や資格は「必要十分条件」だと考えられていたものが、これからはそれらはあくまで「必要条件」に過ぎないものになったということを意味しています。
過去を無視することなく「知識」の習得はしつつ、それで実際に何ができるのか、実績はあるのかということが「十分条件」となるということ、つまり、「より高度な教育」が求められる時代になったと捉えるべきです。
それは、過去から継続する「知識」の習得を否定するものではなく、それに「思考」と「行動」を加えるということであり、「教育」のあり方自体がより高度になったことを意味しています。
このことを非常に端的に表現しているアメリカの教育学者ジョン・デューイの言葉を引用します。
「教育は人生のための準備ではない。教育は人生そのものである。」
もちろん、ただでさえ教育現場のブラック化が叫ばれる現在においてこれを実現するには、少なくとも「知識」の習得の部分に、AIをはじめとするテクノロジーを入れるとか、塾と学校の協同であるとか、時代が進展したからこその効率化が前提となることは言うまでもないことですが。
(*具体例として、2006年の設立当初から「世界トップレベルのクオリティの高い教育をオンラインで可能にする」ことを目的にしたスタンフォードオンラインハイスクールではテクノロジーを駆使して「反転授業(Flipped Classroom)」という授業前に基礎的な知識をインプットした上で、授業ではその知識を前提としたディスカッションなどのアウトプットを中心に行っている。)
なお、このジョン・デューイの言葉には、子供の教育だけでなく、当然にして大人の教育(リスキリングやリカレント教育)の重要性の意味も含まれていることを私たちは忘れてはならないでしょう。









