
触らぬ神に祟りなし
2026年3月29日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
本日(2026年3月29日)の読売新聞朝刊の「編集手帳」に仕事(義務)とリスク、そして責任について考えさせれる記事がありましたので、以下重要と思われる部分を要約引用します。
「『触らぬ神に祟りなし』と言われる。関わらなければ、災いを招くこともないというたとえである。北海道で2018年、男性ハンターがヒグマに発砲したところ、建物に弾が当たる危険があったとして猟銃の許可を取り消された。最高裁がその処分を違法とする判決を言い渡した。住民の生命を守るハンター活動の意義を考えれば、処分に酷な面があるという司法の指摘が胸に落ちた。そもそも男性は市に駆除を要請され出動していた。ひとたび出動すれば片時も気は抜けないと聞く。命がけで社会に尽くす行為をただ危険ととがめられれば、ハンターは触らぬ神にと協力を拒むだろう。自治体が安全に責任を持ち、現場の担い手が活動しやすい環境を整えてほしい。」
この記事を読んで真っ先に思い浮かんだのが、教育現場の機能不全と教師のなり手不足の問題です。
私はこれらの問題の背景には上記のハンター問題に似た「触らぬ神に祟りなし」の構図があるのではないかと思ったのです。
学校教育現場では教師が、背景、能力、環境の異なる子供たちと密接に絡みながら彼らを成長へと導いていくという根源的にチャレンジングな仕事の完遂を求められているという意味で、ここで取り上げられたハンターの「片時も気は抜けない」「命がけで社会に尽くす」といった部分と共通するものがあります。
その上で、彼らが本気でその使命を完遂しようと思ったときに、例えば「モンスターペアレンツ」への対処、およびそれらを恐れるがあまりの学校組織としての事なかれ主義による消極姿勢の強要などによって、本来「子供たちと密接に絡みながら彼らを成長へと導いていく」こととはかけ離れた条件下に置かれているという意味で、このハンター問題と同じように、「触らぬ神に~」とその本来の使命を全うする姿勢を取ることを拒まざるを得なくなってしまっているような気がするのです。
成果を上げるために「神に積極的に触っていく」ことができる環境をハンターや教師の皆さんに提供するという、仕事(義務)とリスク、そして責任のバランスを取るという当たり前のことをまずは実現しなければ話は始まりません。
学校教育の現場を本来あるべき場所に戻すには、やはり本記事で指摘されているように、「自治体が安全に責任を持ち、現場の担い手が活動しやすい環境を整える」ことを徹底するしかないでしょう。









