
思いやりか、それともむごい仕打ちか
2025年3月26日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。
昨日(2025年3月25日)の読売新聞夕刊の「よみうり寸評」に個人的に非常に気になる内容が書かれていましたので、その部分を要約引用してご紹介します。
「粋な計らいにもなれば、むごい仕打ちにもなる。国公立大学2次試験の後期日程の合格発表が桜の開花と微妙に重なることが、である。『サクラサク』の朗報に、開花のニュースが文字通り花を添えた例が各地にあることだろう。同じニュースも前提が逆ならむしろ傷をえぐりかねない。合格者数に定員がある以上、誰かが不合格の憂き目を見る。ある詩に絡めて茨木のり子が指摘する。<少し敏感な人なら、自分の喜びがしばしば他人の悲しみの上に立っていることに気づかずにはいられないでしょう>受験の季節は花の季節と入れ替わる。<喜び>と<悲しみ>の主が頻繁に交代するのも人生の真実に違いない。」
なぜこの一節が、私にとって個人的に非常に気になるのかについて少々ご説明しましょう。
私の家は「茶畑屋」という屋号があり、もともとお茶の自園自製販売を手掛けていました。(今でも販売だけは細々と手がけています。)
そのため一年を通じて基本的に忙しく、旅行は年に一度お盆の時に近場で1∼2泊するのがせいぜいだったのですが、何が悲しかったかと言えば、クラスの友達の多くが行楽にでかけるGWの時がお茶の最盛期で私は毎年お茶刈りの手伝いに駆り出されたことです。
特に茶畑で子供だてらに作業服を着させられた状態で作業しているところを旅行先に向かう同級生、特に女の子たちにその現場を見られることは本当に悲劇としか言いようがない記憶です。(笑)
そして、その悲劇が最高潮に達するのが、GWが終わって学校に行ったときに多くの友人からお土産をもらう「あの瞬間」でした。
その時の感情はなかなか表現が難しいのですが、「悲しい」ような「悔しい」ような「羨ましい」ような「(作業の現場を見られたことで)恥ずかしい」ような、これらが混ぜ合わさった本当に複雑でやり切れないものでした。
GWは桜の開花と同じように常識的には<喜び>に満ちた時間でしょうが、私にとっては<悲しみ>を象徴するような時間であったことは否めないので、「同じニュースも前提が逆ならむしろ傷をえぐりかねない。」というこの一文は私は強烈な共感をもって受け止めずにはいられませんでした。
もちろん、私は自分の子供たちに同じような経験をさせようとは思いません。ですから、できる限りにおいて家族旅行に連れ出そうと意識をしています。
しかし、その旅行先で友人にお土産を買うことについては毎回自分の経験を伝えて、「前提が逆ならむしろ傷をえぐりかねない。」という事実を理解させようとしています。
そんな時、それを聞いている女房が「それは『僻み(ひがみ)根性』というものなんだよ」とこれまたもう一回傷をえぐりかねない一撃を加えてくるのです。(笑)
それに加えて、すでに子供同士の間でお土産の渡し合いから生じる「義理」の関係があり、そうは言っても買わなければという事情があるらしく、私の説得は失敗することが多いことは付け加えておきます。









