「子供に英語を学ばせたい」親にとっての耳の痛い「真実」
2014年11月26日 CATEGORY - 日本人と英語
前回の記事 に引き続き、「『教えない』英語教育」という本の気になった点について詳しく書いてみたいと思います。
それは、「子供に英語を学ばせたい」親にとっての耳の痛い「真実」についてです。
子供、しかも幼児という時期に英語を学ばせたい親にとって、その学ばせたい「理由」とは何なのでしょうか?なぜ、子供に「英語ができる」ようになってほしいのでしょうか?
その答えは、「英語は絶対必要となるから」「グローバル社会で勝ち抜くため」などおおよそは予想ができます。しかし、それは子供にとってだけでしょうか?
上記の理由は、親自身には当てはまらないのでしょうか?
時代が違う?そんな言い訳が聞こえてきそうです。(笑)
それはそうかもしれません。しかし、それは程度の差であって、絶対的な違いではありません。
あなたが英語は子供にとって必要だと思っているということは、あなた自身がその必要性を感じているということであり、そうであるなら、今、大人であるあなたにも必要であるということが真実ではないでしょうか。
実に耳の痛い真実です。(笑)
私には、子供に英語を教えたがる大人は、自分では嫌で逃げたいものを子供には無理やり押し付けているように見えて仕方がありません。
この本の中で著者は以下のように述べています。
「英語を子供に教えたがる人に限って、自分のことは棚に上げて、子供の英語力のことばかり気にする傾向がある。しかし、子供に英語を伝えたいと考えるならば、まず親が『英語学習者としての良いモデル』となることを目指してほしい。親自身が、外国語を話す人と出会ったときに、前向きに対処しようとしているか、そして自身の外国語力を上達させようと努力を続けているか、ということが非常に重要なのである。」
前回の記事 で、「子ども英語」と「大人英語」の間には、非常に大きな断絶があり、「子ども英語」から「大人英語」への橋渡しは失敗に終わるケースがほとんどだという話をしました。
そして、大切なのは、子供の時には母語を活用して「抽象的思考能力」を高め、その上で「必然性」と「リアリティ」を英語学習に結びつけることによって「大人英語」の獲得を目指すことだという指摘をしました。
自分の仕事および社会生活の中で「英語の必要性」を感じ、子どもに対して家族の生活を向上させるために「大人英語」を必死になって学んでいる姿を見せること。これ以上の「必然性」と「リアリティ」があるでしょうか。
私は、「これからは英語が絶対必要だと思うので、子供には小さいうちから英語をやらせて英語ができるようにさせたいんです。」と言われる親御さんに対して、(「必要かどうかはご自身が感じることで、感じてなければ必要ないんじゃないですか?」と心の中で呟きながら)「本当に英語が必要だと親御さんが思っていて、子供を英語ができるようにさせるには、子供に親御さんが英語を学んでいる姿を見せることですよ。」と伝えます。
本当にこの方法が最も確実な方法です。でも、私からこの話を聞いて実行してくれる親御さんは、、、教育って「共育」っていう人がいますけどこれが真実だと思っています。