日本人と英語

なぜ日本語は主語を省くのか

2024年1月24日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語脳スイッチ!#307」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマは、「主語を省くことの目的」です。

前回は、川端康成の小説「雪国」の冒頭の一節の日本語と英語翻訳の対比によって日本語話者と英語話者ではそれぞれの文によって頭に浮かぶイメージの違いについてみました。

著者はそのことに関連して、それぞれの言語話者の脳が創り出すイメージの違いについて以下のような比喩を使って説明しています。

◆日本語脳:自分がカメラになり、そこに映った世界を言葉にする。

◆英語脳:まるで幽体離脱するように、自分が外から自分を眺める。

さらに、このことを分かりやすくするために以下のような道案内の時に使われる日本語表現を使って説明を加えています。

「『ここをまっすぐに行くと、右手にコンビニがあります。その角を左に曲がって二つ目の信号のところに交番がありますから・・・・』

この日本語には「まっすぐに行く」のがだれなのか、「角を左に曲がる」のが誰なのか、が言葉に現れていません。これは単に主語を省略しているだけでなく、日本語の持つ「話し手と聞き手が視点を共有する」という働きを生み出します。雪国の一節を思い出してみましょう。『長いトンネルを抜ける』の主語は、理屈でいえば『列車』のはずですが、もし『列車が国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった』と言ってしまうと、英語版と同じように雪国の中に出てくる列車をトンネルの外から見る映像が浮かび上がってしまいます。仮に『私』を主語にして、『私がトンネルを抜けると、そこは雪国だった』と言ったとしても、そこに浮かぶのは『私から見える景色』ではなく、『私が雪の中に立っているのを外から映した景色』になるでしょう。あえて主語を置かないことで、読者は列車に乗っている主人公の視点で、臨場感あふれる景色を体験します。」

なるほど、日本語脳の「自分がカメラになり、そこに映った世界を言葉にする」というものの見方は、日本語そのものの構造からくるというより、日本語特有の「主語を省略する」という手法による効用によるものだと理解するべきかもしれません。

著者はこのことがより一層よくわかるエピソードを提供してくれているので以下引用しておきます。

「誰しもが初めて英語を習ったときから『英語を直訳してみると何か変』という違和感を覚えます。『あなたがここをまっすぐに行くと、右手にコンビニを見ます。あなたがその角を左に曲がると二つ目の信号のところに交番を見つけますので・・・』この違和感の正体はこの『外から自分を眺める』視点が生み出す映像です。」

この著者の半端ない洞察力にただただ脱帽です。

 

◆この記事をチェックした方はこれらの記事もチェックしています◆