日本人と英語

「英語が完璧」の定義

2016年7月24日 CATEGORY - 日本人と英語

完璧の定義

書籍紹介ブログにて紹介しました「もうこれで英語に挫折しない」という本の中から三回にわたって様々なテーマについて書いてきましたが、今回は最後、第四回目として「英語が完璧」という状態について考えてみたいと思います。

英語に限らず外国語、いや母国語についてもですから、言語に関しては「完璧」という状態を定義するのは難しいと思います。

ですが、これを定義できないと、その言語の学習者、特に真面目な人が多い日本人は、どこまでも終わらない学習を続けなければならないことになります。

この点について本書では以下のような表現をされています。

「三か月集中して学習して、一カ月は思いっきりサボる。こうやって四カ月単位で回していくと、英語が急激に楽しくなってくる。こうやって続けていくと、英語の記事を読んだり、動画を見たりがあまり苦ではなくなっていくので、自然な形で英語が日常に入り込んでくる。こうなると、自然に話す力、書く力もついてくる。そうすると、外国人との距離感がだんだんと小さくなっていく。『英語を話す』ことが特別なことではなくなり、自然に挨拶もミーティングの司会もできるようになっていく。」

続けて、

「英語はここまで来るのが一番大変だ。面倒であり、苦痛でしかない。一旦自転車に乗ることができるようになれば、特に何の問題もなくどこにでもすいすい行けるようなもので、早くその段階までこぎつけたい。そうすれば、一気にとても楽しくなる。」

いやはや、本質をつかんだ表現だと思いました。

日本人の多くは、TOEICなどの影響もあるのだと思いますが、エンドレスに学習を続けられる方が多いと思います。とにかく、満点をとるまでは自分自身は、「足りない」という評価をしてしまい、完璧なんてありえないというわけです。

そんな方には、私は次のように申し上げています。

「英語は、相手が言っていることが分からない場合、自分自身で質問をして別の表現を引き出すことを繰り返すことによって、最終的にはそれを理解することができるはずだという自信を持った時点で、誰もが『完璧だ』と思うべきです。」

なぜなら、その状態は、英語を使ってなんでもどうにかなる状態だからです。後は、それを、スムーズに行ったり、もっと近道を見つけたりするような「よりよい」状態を目指せばいいだけで、「英語を話す」ということにおいてはすでに完璧以外の何物でもないからです。

この状態こそが、著者のおっしゃる「『英語を話す』ことが特別なことではなくなった」状態なのだと思います。

学校教育が目標とすべきところは、高校卒業後、TOEIC○○点、とか英検何級とかいうところではなく、まさにこの定義における「英語を話すことにおいて『完璧』」というところなのではないかと痛切に思います。

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