アルファベット日本語化論 その2
2014年8月20日 CATEGORY - 日本人と英語
前回の記事「アルファベット日本語化論」を書いた後、このトピックでスタッフの間でこの政策提言(?)に何か弱点がないかを討論をしました。その中で出てきたのが、上記画像中の下段のような日本語が氾濫するのではないかという危惧です。(しかも、experience, growing up, philosophyは完全に英語発音です。)
アルファベットを日本語化するということは、外国語をそのまま日本語に導入することを許可するということになるので、当然にして上記のような日本語も許容する(しつこいようですが、発音が完全な英語発音であることを忘れないでください。)ということになるからです。
この反論に対する再反論を用意しました。
まず第一に、アルファベットと発音を完全に日本語することによって、「西洋かぶれ」的な感覚を排除することができるはずです。
小学校において適切なアルファベットおよび現在の日本語に存在しない発音を正式に教育することによって、そのような教育を受けた世代からは、今私たちが感じる上記のような文章の発音を聞いた時のような「キモい」という感覚はなくなるはずです。
また、「アイデンティティ」「コンセンサス」「コンプライアンス」「ガバナンス」「クレーム」「アポイントメント」のような現在のカタカナ外国語は、なまじそれが日本語ではなく、外国語だという認識が強いために、いわゆる「西洋かぶれ」的な感覚によって氾濫していると考えられます。そのため、きちっと完全な形でアルファベットと発音を日本語化することにより、下手な氾濫を避けることができます。
第二に、アルファベットと発音を完全に日本語化することによって、漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットの適正配分がなされるようになるはずです。
現在の日本語においても、漢字とひらがなカタカナの文章中における適正な配分という感覚は存在しています。ひらがなだらけで漢字がほとんどない文章は非常に読みにくく、教養のない人が書いた文章だと認識されてしまうため、誰もが可能な限りもっとも適正な配分を心掛けようとします。
これと同じことが、漢字、ひらがな、(カタカナ)、アルファベットの間でも生じることになるはずです。すなわち、外国語の単語に的確な日本語訳が既に存在しているものについては、今よりもずっと、そちらを使わないと「教養がない人」だと思われるという風潮になるということです。
どちらにしても、日本人としての identity をしっかり保ったうえで、外国語に適切な距離感で接することができるようになるという効果につながるといえると思います。
まさに、これが日本人の( global化ではなく) 国際化のあるべき姿なのではないでしょうか。皆さんにも是非、私のこの政策提言に(togetherではなく)同調していただきたいと思います。(笑)