日本人と英語

チョムスキー理論と従来言語学の違い

2019年9月6日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「チョムスキーと言語脳科学」から、いくつかテーマをいただいて書いていきたいと思いますが、第一回のテーマは「言語が本能である証拠」です。

皆さんは、「言語学」と聞けば、それは文系の学問だと思われると思います。

その証拠に、大学において言語学を学ぼうと思ったら、(人)文学部に入るというのが常識になっています。

そのような「言語学」をれっきとした「自然科学」の一分野にしようと奮闘したのがノーム・チョムスキーでした。

本書には、そのあたりのことが以下のように書かれています。

「チョムスキーは人文科学の一つのして発展してきたそれまでの言語学のことを『蝶々あつめ』とみなしている。蝶に限らず、動植物や鉱物などの標本を収集して分類し、それぞれの際や共通点を明らかにするような『目録作り』の研究は歴史が長い。世界中で集めた言語を比較して記述する従来の言語学も、そうした旧来の『博物学』によく似ている。明治時代の日本で、言語学は『博言学』と呼ばれていた。蝶々集めのような博物学も、『これはこうなっている』と記述するだけの現象論にとどまる限り、やはりサイエンスとはいいがたい。それを物理学のような本物の科学にするためには、ただ単に現象を記述するのではなく、なぜそうなるのかという理由を説明する必要がある。表面的な多様性の奥深くに合って目に見えない、普遍的な『原理』を探るのがサイエンスなのだ。」

サイエンスの基本は以下の三つだと言われます。

「客観性(証明ができること)」「普遍性(広い対象に当てはまること)」「再現性(繰り返し起こること)」

このことを考えると、なるほどなと思います。

例えば、少し前のSTAP細胞の問題についても、いくら小保方さんが「STAP細胞はあります!」といったところで、それをもう一度作り出せない以上、少なくとも三つ目の「再現性」がないということで、誰もこれをサイエンスだと認められませんでした。

また、経営学についてもこの再現性の限界については、私のブログにて何度も紹介している一橋大学の楠木教授の著書にもそのことが取り上げられています。

すなわち、理系学問とは、これらの三つの条件をクリアできる可能性のある複雑性や偶然性、すなわち関連する変数の数が限定されている分野において適用される学問であり、文系学問とは、例えば人間の心のような捉えどころのない、関連する変数があまりにも多い分野において、それらの適用を最初からあきらめなければならない学問と言えるのかもしれません。

その上で、チョムスキーは、最初はそれらの適用をあきらめなければならないと考えられていた言語学に何とか適用する可能性を模索することで自然科学の性質を伴った学問として成立させる選択をしたと言うことだと思います。

そのため、チョムスキーの理論は非常に革新的である一方で、誤解や批判も少なくありません。

次回はその中でも最も頻繁に取り上げられる誤解である「チョムスキーはダーウィンの進化論を否定している」という批判について取り上げたいと思います。