日本人と英語

言語とアイデンティティ

2015年4月12日 CATEGORY - 日本人と英語

積み上げ

 

 

 

 

 

 

 

書籍紹介ブログにて「英語支配の構造―日本人と異文化コミュニケーション」という本を紹介しましたが、本書において議論されている「言語とアイデンティティ」に関して興味深い考え方が出てきましたのでそちらについてご紹介します。

言語とアイデンティティに関しては、あくまで社会心理学的な要素なので、確定的な理論があるわけではありませんが、本書ではカナダの社会心理学者ランバートの次のような言葉を紹介しています。

「第二言語に上達すればするほど、人は自分の生来の集団における立場が変わることに気づく。なぜなら、新しい言語文化集団が、自分にとって事実上新しい所属集団になるかもしれないからである。」

彼は、第二言語習得には「融合的動機」と「道具的動機」の二つがあり上達には前者の方が有利だと言っています。「道具的動機」とは、学習者が、その学習言語を学び、その言語の使われているコミュニティと接触することで、なんらかの物質的利益(よい就職やよい待遇)を得たいという意欲のことです。「融合的動機」とは、新しい言語集団に憧れ、その言語集団と融合したい、そのアイデンティティを獲得したいという意欲のことです。

ですから、前者すなわち新しい言語集団に融合したい、そのアイデンティティを獲得したいと思って第二言語を学んだ方が上達しやすいということです。

このことは、私の体験的にもよく分かることです。アメリカに憧れ、アメリカ人に近づきたいと思って英語を学ぶ人の上達は目覚ましいものがあります。また、男女の間で女性の方が、英語の上達が早いとよく言われますが(実際にLVのお客様を見ていてもかなり明確にその傾向が見られます)、女性の方がアメリカに憧れ、アメリカ人に近づきたいという気持ちが強い人のほうが多いような気がします。

しかし、著者はこの「融合的動機」による言語習得には、その過程において非英語民族としてのアイデンティティの危機が生じる可能性が高いと言います。

この点についてランバートは民族間の力関係に関連して次のような考え方を提示しています。それは、「加算的バイリンガル」と「減算的バイリンガル」というものです。

前者は、自国語をを維持しながら、第二言語を習得するバイリンガルで使える言語が一つプラスされるので「加算的」とよばれます。それに対し、後者は、第二言語を習得する過程で、自国語を忘れたり、あるいは意識的に使わないようにするため、自国語である言語が一つマイナスされることになるため「減算的」とよばれます。

そして、「融合的動機」による言語習得はこのうちの「減算的バイリンガル」に繋がりやすいので、非英語民族としてのアイデンティティ喪失の危機が生じる可能性が高いというのです。

この理屈については私は確かに納得することができる面があると思います。しかし、著者は「アメリカに憧れ、アメリカ人に近づきたいと思って英語を学ぶ」日本人をこの理論の「減算的バイリンガル」に当てはめることで危機感をあおっているのですが、それはあきらかに次元の違う話だと思います。

ランバートの指摘は、あくまでも旧植民地支配を受けた国で起こっているようなことであって、日本における「アメリカ好き」を動機にして英語を学ぼうとしている人びとまでを含めて警鐘を鳴らすような次元ではないでしょう。

今後、どこまでグローバル化が進むか分かりませんが、少なくとも日本において日本語が生活言語、教育言語、政治言語でなくなることは少なくとも今世紀ではありえないと思います。英語はどこまで行っても、「道具」として活用されるだけの存在です。

大きな批判を浴びた日本における「英語第二公用語論」ですら、「第二」と断りがあってのことであって、あくまでも第一公用語は日本語だという大前提があったのです。何度も言っていることですが、日本語で考えることで日本人として世界との差別化を最大限にはかり、世界に対して英語を利用して発信することで、その大きな市場を最大限に活用する。この姿勢を保てば、著者の言うように意識の支配を受けるようなことはないと信じています。

そう考えれば、日本語を使用する日本人が英語を学び、バイリンガルになれたとするならば、それは確実に「加算的バイリンガル」であることは間違いありません。