
小学校英語必修化と中学校英語必修化の決定的な違い
2018年9月19日 CATEGORY - 日本人と英語
前回まで三回にわたって「『なんで英語やるの?』の戦後史」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目の今回は、「小学校英語必修化」論と「中学英語必修化」論の考え方の違いについて考えてみたいと思います。
前三回の記事では、そもそも日本において中学の英語教育が必修科目となっている現状は、当初からのものではなく、かなりの紆余曲折があってのことであることを学びました。
ですから、現在小学校英語必修化に対して、私自身もかなり強硬な反対論者であると自覚していますが、その理屈を改めてかつての「中学校英語必修化」に関わる論争に絡めて考えようと思いました。
まず私のスタンスをあらかじめ明確にしますと、「中学校英語必修化」の歴史の流れについては、大方積極的に評価しています。つまり、「中学校英語必修化」は是とする立場です。
しかし、「小学校英語必修化」については、このブログを継続的にご覧いただいている方にとっては当然お分かりとは思いますが、完全に否の立場です。
第一回目の記事で見たように、当初は「中学校英語」においても英語は「選択科目」であり、その理由は「英語という教科は他の教科に比べて必要性に地域差・個人差があるから」でした。
つまり、すべての国民に学習させる必然性、社会的要請がないから「選択科目」とされていたことになります。
それが、1950年代に大きな混乱もなく「事実上の必修化」が達成されたということは、「必然性」、「社会的要請」を多くの国民が認識したととらえることができるのではないでしょうか。
あとは、それを実行に移すことができる条件、すなわち英語教員の増員を実現できるかどうかが問題であって、その実現については前回の記事で詳しく説明しました。
一方で、「小学校英語必修化」についてですが、2011年当時の日本国民にとっての英語の必然性、社会的要請は、1950年代の比ではありません。ですから、この点を私は反対の理由にはしていませんし、ほとんどの反対派の方もしていないと思います。
私もそうですが、多くの反対論者の一番大きな理由については、本書で引用されている英語教育学者の斎藤兆史氏の以下の文章が明確に説明してくれています。
「日本人の英語力を向上させようというなら、少なくとも現時点においては、小学校でまず国語力の基礎固めをし、中学校において、その基礎の上に文法や読解を中心とした方や技術を仕込むことが最も効果的だと私は考えます。」
これは小学校と中学校の間に日本語発達上何らかの質的な違いの存在を前提にした反対論です。
つまり、母語である日本語が出来上がっていない小学生は思考の基礎が出来上がっていないということであり、小学生に英語という日本語とは異なる言語を理解させるには、長期にわたる試行錯誤的な教授方法を適用しなければならなくなることを意味します。
ですから、その非効率的な学習を長期間続けなければならないことと、その結果得られる成果の少なさとを考えれば、その時間を日本語での思考力を高めることに振り向け、それによってより思考力の高い中学生となった後に、効率的で体系的な英語学習をしたほうがよほど費用対効果が高いと考えます。
特に、日本語と英語という言語システムが全く異なる言語間ではなおさらです。
このことを考えると、「中学校英語必修化」の歴史にて見られた国民的理解を今後「小学校英語必修化」が同じように得られるとは考えられないというのが、現時点での私の確信です。