小学校英語、小5から正式教科へ
2016年8月3日 CATEGORY - 日本人と英語
2016年8月2日の新聞ほぼ全紙に一斉に「2020年度から小中高で順次実施する次期学習指導要領の中間報告の公表」についての報道がなされました。
この新しい指導要領は、これからの子供たちには、社会の進化を受け止め、発展させる資質・能力が必要だと指摘し、その骨子として「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の育成を掲げています。
その中の具体的な形として、小学校の5年6年での英語正式教科化があげられており、これだけ大きな報道となったと思われます。
私たちランゲッジ・ヴィレッジの小学校英語に関する主張を詳しく知りたい方は、過去の記事「小学校英語の何が問題か」をお読みいただければと思いますが、私たちの考え方からすると、この決定は明らかに「ありえない」ものです。
2011年から始まった、いわゆる「小学校英語」は建前として、「教科」ではなくあくまでも「外国語活動」という「英語」と「その言葉が使われている国の文化」に触れさせ国際理解を促すという趣旨で行われるものでした。
そして、この活動が将来における「教科化」へのステップではないということを文部科学省は前提としてきました。
私たちランゲッジ・ヴィレッジも、このブログで書籍を取り上げるような良識ある英語教育学者の方々も、一貫して、「小学校英語」については反対の立場を明確にしていますが、すでに始まってしまったこの「外国語活動」に対しては、この「建前」によって、かろうじてその存在意義の理解と自分たちの主張との折り合いをつけつつなんとか理解しようとしてきたというのが正直なところです。
もちろん、実際には「将来における『教科化』へのステップではない」などということは詭弁に過ぎないと思ってきましたが、それが予想通り見事に裏切られてしまった格好です。(笑)
そもそも私たちは、『小学校英語』の存在自体が、不要もしくは有害だという認識で反対してきていますが、すでに始まってしまってからは、その存在自体を前提にして、その教育の質に大変な問題があるという点において指摘を行っています。
その問題の根本原因は、現在の「小学校英語」には、戦略のかけらもないということにつきます。
英語に何の興味も経験もない小学校の先生(そもそもそれは不要という前提で小学校の先生になっているのでこれは彼らの責任ではありません)と英語教育に対する理解が全くない英語圏の若者であるALT(こちらもそもそもそのような要件を設けずに募集されています)との協同によって、小学生に「英語」と「その言葉が使われている国の文化」に触れさせ、国際理解を促すには、相当に練られた戦略と徹底したトレーニングが必要となるはずです。
しかし、実態は第二次世界大戦末期、徒手空拳でアメリカ軍との戦いを強いられた日本軍の将校のようなものです。戦略も武器もほとんど与えられない中で、ろくな訓練をしていない素人兵士を部下としてあてがわれ、あとは根性で何とかしてくれと言わんばかりの状態です。
百歩譲って、最終的に「教科化」を目的として小学校英語を導入するのであれば、この「外国語活動」という教科外指定の期間に、この目標の達成のためにはどんな問題点があって、それを解決するために必要な金銭および人的資源を十分に用意して、解決のための実験を繰り返し、その解決があってはじめて、「教科化」に踏み切るというのが最低限必要なことだと思います。
現状は、小学校の先生の問題に関しても、ALTの問題に関しても、まったくその解決の糸口さえ見いだせない状態での今回の「教科化」決定に、私は心の底から怒りを覚えます。
多くの親はこのような外国語に早くから触れさせるという方針に賛成だという調査結果が出ていますが、外国語教育の専門家から見て、このような教育体制とこの程度の時間数では、彼らが期待する結果など出るわけもありません。
しかも、「教科化」によって成績がついていきます。
英語に何の興味も経験もない小学校の先生がその成績付けを行うわけですから、彼らに対してしっかりとしたトレーニングを施さないで実行するのであれば、その姿勢は確実に後ろ向きのものとなり、「英語嫌い」を前倒しして生産することになります。
そのため、結果がでないどころが、マイナスの結果ができることは目に見えています。
しかしながら、現実には2020年度にはその点が解決されないままに始まってしまいます。
今回に関しては、2011年の時の「外国語活動」導入の時のような、「建前」であったとしても、その存在意義の理解を自分たちの主張との折り合いをつけられるような要素が一切ないということが非常に残念で仕方がありません。
2020年、私の三人の子供(三つ子)がちょうど小学校5年生になります。