日本人と英語

戦時中の敵国語についての日米対比

2016年10月28日 CATEGORY - 日本人と英語

敵性語

先日、書籍紹介ブログにて「英語と日本軍」という本を紹介しました。

太平洋戦争における日本の敗因の一つとして、「戦時中の敵国語についての日米の対応」の違いがあげられることが少なくありませんが、この点にスポットをあてて、その歴史的背景からその対応の詳細に至るまで事細かに書かれている非常に貴重なものでした。

一般には、冒頭写真のように「太平洋戦争中の学校では英語教育が禁止されていた」というような話をよく耳にしますが、これは一般大衆向けに戦意高揚のプロパガンダとして行われたものであって、実際には文部省は太平洋戦争下でも国民学校高等科を含む中等学校以上で英語教育を継続していました。

ただ、悪化する戦局の下で勤労動員や学徒出陣によって授業休止状態になる場合が多かったといったことはあったようです。

一方、軍の管轄する陸軍幼年学校や海軍士官学校などでは、敗戦まで敵国語である英語の教育を続けていました。敵国の事情を知るということについては、戦争継続において非常に重要なことであるという認識は、当然あったということですが、本書を読んでいくと、その認識と対応に日本とアメリカでは大きな違いがあったのだということが良く分かります。

アメリカは、日露戦争後から日本を仮想敵国の一つとみなして日本語および日本の国情を研究し始めていました。ただ、太平洋戦争勃発前までは、高い日本語能力を持つ語学将兵は極めて少なかったため、時局が開戦に向かっていく中で、日本語要員の大規模な養成計画を実施しました。

まず、1941年に海軍日本語学校を開校し、終戦までに1250人の語学将校を養成、陸軍日本語学校でも、6780人に日本語教育を実施しました。また、陸軍特別研修計画として、約10か所の学校での9カ月にわたる集中訓練で15,000人を超える下士官に日本語を叩き込んだと言います。このほかにも、終戦後の対日占領政策に備えて、1943年からカリフォルニア大学などに委嘱して、3000人近いアメリカ兵に日本語の特訓を行ったことが分かっています。

また、日本語は単純に会話目的というだけでなく、暗号の解読などインテリジェンス教育にも密接に関わっており、アメリカは、敵情を正確に認識して効果的な攻略法を探るために、日本語教育を戦略的に実行することによって、効果的な作戦遂行につなげていったことが分かります。

それに対して日本も、上記のように敗戦まで敵国語である英語の教育を続けていましたが、戦局が厳しくなるにしたがって、英語教育を縮減していきました。具体的には、アメリカ陸海軍が日本語学校を開設した1941年に、日本陸軍は予科士官学校などの入試から英語を撤廃、入校後の英語教育も大幅に短縮・廃止したため、英語を最も必要とする時期に英語に堪能な将校を育成することができなくなっていました。

日本はなぜそのような愚かなことをしたのか?

本書では、その疑問に答えるいくつかの事柄を紹介していますが、開戦後時間がたつにつれて日本が劣勢に立たされるようになると、教育という即効性にかけるものに対して、限られた資源をあてがうことが難しくなり、その結果、教育全体の修業期間の短縮が行われ、その中で即効性の高い戦略戦術を教える軍事学が優先されることにより、結果として英語をはじめとする外国語教育に必要時間数を確保できなくなってしまったということを重要視しています。

ですので、一般的に言われているようなプロパガンダに影響された結果ではなく、これ自体は合理的な判断と評価することもできますが、やはり対症療法的で戦略性がなかったと言われればそれまでのことだと言わざるを得ないと思います。

このように見てきますと、やはり「窮すれば鈍する」のことわざ通り、そもそも日米の国力の差を開戦前に見誤ったことによって、戦局が悪化し、それに伴って戦略的な動きができなくなってしまったという流れが浮かび上がってきます。

そのような中でも日本陸軍と海軍とを比較すると、陸軍は圧倒的に英語に対する姿勢が消極的なのが明らかなのですが、太平洋戦争勃発後の発言権を持ったのが陸軍であると考えると、その姿勢が日本を窮地に追いやった要因の一つとも言えそうです。

そこで、次回は、「外国語教育から見た日本敗戦原因」というテーマを取り上げて見たいと思います。