日本初の英和辞書
2019年11月17日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにて紹介した「日本語が英語と出会うとき」よりいくつかテーマをいただいて、書いていきたいと思いますが、第一回目のテーマは「日本初の英和辞書」は何かです。
日本で最初の英和辞典は何かについてはその形態によって明言することが難しいようです。
時期の早さで言えば、1814年に完成した「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」が最も早く作られた英和辞書と言われています。
これは、1808年にイギリス海軍のフェートン号が、国籍を偽るためにオランダの国旗を掲げ長崎へ入港し、二名のオランダ商館員を拉致し、食料や薪水を要求するという事件が起こったことによって幕府が英語の必要性を感じ、長崎のオランダ通詞にオランダ人から英語を学び、辞書の編纂をすることを命じたことによります。幕府の命にはよりますが、あくまでもオランダ通詞が民間の立場で作成したものということになります。
一方で、1862年に完成した「英和対訳袖珍辞書」はそれ以前に存在する「諳厄利亜語林大成」が不十分な情報しか載っていないことから幕府の洋書調所がその当時日本に蓄積されていた情報を結集して正式に編集した「官版英和辞書」であり、これをもって日本初の英語辞書とする考えもあります。
これは、ペリー来航に首席通詞をつとめた堀達之助が編纂主任をつとめ、英語の印刷には洋書調所の活字を使い、献上された英国製のスタンホープ印刷機を使って活版印刷され、日本語は木版に掘って印刷し、輸入した用紙を使って作られたものです。
ちなみに、作成方法としてはオランダのピカード著「A New Dictionary of the English and Dutch Languages」のオランダ語部分を日本語に直すことで作成し、「袖珍(しょうちん)」というのは、「袖に入れて携帯可能」という意味で、英語の「pocket」に対応しています。
このように、いずれを「日本初」とするにしても、日本語が英語と出会った当初は「オランダ語」という第三者的言語を解しながら編纂が行われ、日本の英語辞書は成長を始めることになったというわけです。