日本人と英語

理想の小学校英語

2019年6月14日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「なぜその英語では通じないのか」からテーマをいただいて議論をしていこうと思いますが、第一回目の今回のテーマは「カタカナ英語」の違和感についてです。

和製英語については、だいぶ前になりますが書籍紹介ブログにおいて「アメリカ人の知らない英語 和製英語のすべて」およびその続編である「アメリカ人の知らない英語 和製英語のルーツ」等いくつかの書籍を紹介しています。

このブログシリーズでは和製英語のデメリット、そしてそのようなデメリットを有していながらもなぜ日本において広く使われるようになったのかという理由について書いています。

そのデメリットとは、「勝手に日本人が作ってしまった和製英語なので、英語話者に理解されないこと」と「いわゆる和製英語の意味以外に、本物の英語も存在するものもあることで、別の意味を伝えてしまうこと」です。

つまり、これらを日本語ではなく英語としてとらえた時、通じないだけでなく、混乱を生じさせるという、それを覚えることによって日本人が英語と付き合う上でマイナスでしかないという代物です。

にもかかわらず、これだけたくさんの和製英語が存在しているのが日本の現状です。

また、和製英語ではなくても、英語の発音をそのままカタカナにした「(狭義)カタカナ英語」も多く存在し、それらを合計すると一般の日本人は、5000~1万語くらいは「(広義)カタカナ英語」を知っていることになります。

この点について、本書で著者はその違和感を次のように表現されています。

「『リフォーム』『ランニングホームラン』『シャープペンシル』『プレイガイド』など、数えきれないほど多い和製英語は、英語の観点からすれば、たいていおかしく感じられるが、『カタカナ英語』であれば(つまりアルファベット表記でなければ)それは英語とは関係のない日本語に見えるので、さほど気にはならない。ただ、reform, running home run, sharp pencil, play guide などのように、アルファベット表記のものを見かけることもあり、その時は相当不気味な感じがしてしまう。英語のつもりで使われているように見えるからである。」

この和製英語について、どのように英語話者が感じているかを直接聞く機会は少ないので、この著者の感想は非常に貴重なものだと思いますが、正直「不気味な感じ」というかなり直接的な表現でその違和感を表現されると何とも言えない気分になります。(笑)

ただ、私としてはその現実を見せつけられたとき、日本人として、「もったいない」という気持ちを強く持ちました。

というのも、私たち日本人は明らかに日本語とは異なる単語として、それらを覚える努力をしなければならないのに、その後の人生で英語に関わる際にはそれがマイナスにしか働かないのは、「もったいない」以外の何物でもないと思うのです。

そこで、私は次の提案をしたいと思います。

いくら批判をしても、もはや制度として進みだしてしまった以上、「小学校英語」に費やす時間を、現在のようにかつての「外国語活動」の延長線のような非体系的なものではなく、一般的な日本人が触れてきた5000~1万にわたる「カタカナ英語」に分類されるものを、正確な語彙と正確なスペルとともに子どもたちに教えることにあてるというのはいかがでしょうか。

その際には、発音記号の基礎をきちんと教えることで日本語にはない発音をある程度の理論とともに理解させ、「カタカナ英語」ではなく、英語という外国語の語彙としてのアルファベット単語をきちんと習得させるとともに、その語彙を今のカタカナ英語のように日本語としても認めてあげるのです。

実はこのアルファベットを日本語として認めるという考え方は、以前に「アルファベット日本語化論」としてこのブログで取り上げたこともあります。

このようにすれば、体系的な文法学習の開始を小学校で前倒しするなどということをせずとも、非常に有意義な小学校英語と中学校英語の連携が取れると思うのです。

子どもたちに無駄(であるだけでなくマイナス)な努力をさせることなく、これからのグローバル化に資する「小学校英語」の形だと思うのですが、皆さんはどう思われますでしょうか。

 

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