発信機型の英語へ
2015年6月10日 CATEGORY - 日本人と英語
今回も「アメリカを知るための英語、離れるための英語」という本に関して書こうと思います。四回目ということで大変しつこいようですが、それほど「日本人と英語」という観点から興味深い視点をたくさん提供してくれています。
今回面白いと思ったのは以下の指摘です。
「日本という国家は、これまで常に壮大な受信機は持っているけれど、発信機は必要としなかったのです。だから、明治以降百三十年間の英語も、幕末の短期のオランダ語も、その前の漢文も、実は情報輸入のための言語であって、輸出発信機能というのはありません。それは辞書を見ても分かりますね。英和辞典は種類も豊富で、内容の深みもある。なかなかいい辞書が多い。しかし、和英辞典の方はどうか。量も質も英和とは比較になりません。和英とは本来英語をもっと理解するために使う辞書であって、日本人の発想や感情を海外に発信するためのものではない。だからもともと英語になり事物、日本独特の発想を表す言葉など和英にはほとんど出てないわけです。」
特に、後半の「和英辞典」の件に関しては、私としては非常に共感ができます。というのも、私自身も自著「富士山メソッド」において次のように書いているのです。
「一般的な日本人の場合、英和辞書のほうが和英よりもボロボロになっていると思います。これは、日本人の英語学習が『受動的』であるということを意味しています。人間の思考は母国語によって支配されていますから、何かを『伝えたい』という欲求が起こるとき、そのイメージは日本語のはずです。ですから、『そのイメージを英語で表現するとどうなるのだろう』という心の動き、すなわちその英語を『知りたい』という欲求が、英語の学習の素晴らしい原動力となるのです。本来であればLVのように、学習者がそういった欲求を持った瞬間にネイティブ講師がそばにいる環境があり、日本語が禁止であるために、何とかして目的の英語を引き出す努力をすることが最高の学習になります。しかし、そうではない条件下で、ネイティブ講師の代わりになるのが、『目的の英語を引き出す』という意味で和英辞書ではないかと思うのです。ですから、本来あるべき英語の学習方法を行うのであれば、和英辞書のほうがボロボロになっているべきなのです。」
このことは、日本人の英語学習の姿勢に関して一般的な日本人が考える以上に重要で根本的なことだと思います。これは、以前のブログ記事「英作文は究極の英語独学法」で英作文を最良の能動的英語学習法だと述べましたが、英語学習を能動的に行うか受動的に行うかはそのモチベーションを大きく変えることにつながるからです。
英作文を含め、英語による情報発信の元ネタとしての日本語を自分自身で考えることで、その学習過程自体を大きなモチベーションとすることがにつながります。しかも、このことを習慣化することができれば、自分自身の生活体験すべてを英語学習に転化することができるようになります。それについては、再び以前のブログ記事「効果が実証されている英語学習法」をご参照ください。
伝統的なテキストに沿って行わなければならない受動的な学習法に比べて、和英辞書さえあれば学習可能なわけですから、学習の継続性においてもメリットを発揮することになります。
そういった意味で、本書を読むことで著者とこの点に関して共感できたことは素直にうれしく思いました。