日本人と英語

本当に人の話を「聴く」ということ

2016年11月23日 CATEGORY - 日本人と英語

Man and woman fighting about their future

前回から、「英語の仕事術」という本の中からいくつかテーマをいただき議論していますが、第二回目の今回は、「本当に人の話を聴くということ」についてです。

前回の議論の中で、日本人のコミュニケーションには根本的な欠点があり、それは教育の設計からくるものであるという側面について取り上げましたが、今回はそれでは、欧米人のコミュニケーションには欠点がないのかという点について考えてみたいと思います。

実は私は、アメリカ留学の時からずっと、なんとなくアメリカ人の「聴くこと」=「尋ねること」というコミュニケーションには少なからず違和感を感じていましたので、本書におけるその点についての記述を興味深く読みました。

それは、著者が「7つの習慣」で有名なスティーブン・コヴィー氏の次の言葉を引用したものです。

「ほとんどの欧米人は相手の話を理解しようとして聞いてはいない。彼らは相手に返答するために聴いている。」

つまり、相手の話を聴くことよりも自分の意見を発現する機会を待っているので、相手はあなたの話を100%聞いているわけではないですよ、ということです。

先ほど、私はアメリカ留学の時からずっと、なんとなくアメリカ人の「聴くこと」=「尋ねること」というコミュニケーションには少なからず違和感を感じていたと書きましたが、私の違和感をコヴィー氏がまさに言語化してくださった感じです。

彼らは、日本人が「そんなの当然だろう」と思うことまでも、「尋ねる」ことから入って、結局は自分の言いたいことにもっていってしまうことが多いと感じていました。そして、その「言いたいこと」は、たいした内容でないこともしばしばです。

それでも、文句が出ないのは、その他の人々もまた、同じように「尋ねる」ことから入って、結局は自分の言いたいことを言うということを行うからです。これは、少し前に日本でも人気になった「サンデル教授の白熱授業」などを見るとよくわかると思います。

それに対して、著者自身の日本人の「聴く」スタイルについての言葉です。

「日本人は相手の話を理解するために聴くのではなく、和を保つために聴いている。」

まさにその通りと言わざるを得ないかもしれません。

ただ、先ほどの「サンデル教授の白熱授業」の話の続きになりますが、米国のハーバード大学と日本の東京大学の学生の間での討論の回を見たことがあるのですが、東大生は、上記の通り、「和を保つために聴いている」という基本的姿勢があるので、自ら発言する時というのは、よほど全体に対して貢献するような素晴らしいアイデアを思いついたときなので、その時には、ハーバードの学生とは比べ物にならないくらい深い意見が飛び出たりすることがあったことを思い出しました。

本論に戻りますが、ここで著者が主張するのは、欧米人に多い相手に返答するために聴いているという姿勢も、日本人に多い和を保つために聴いているという姿勢も、両方とも本当に「聴いている」ことにはならないということです。

これからのグローバル社会において必要となるのは、やはり前回のブログで述べたような本来の意味での「聴くことと尋ねることは表裏一体である」という考え方であると改めて思った次第です。

それは、欧米的スタイルと日本的スタイルのちょうどいいバランスの上に成立するような気がします。

 

 

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