日本人と英語

なぜ「臨界期」は存在するのか

2019年6月5日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「言語を生み出す本能」から、テーマをいただいて書いていますが、第四回のテーマは「臨界期が存在する理由」についてです。

私は、日本人が英語を習得するということ、いや全ての人間が外国語を習得することに関して「臨界期」は存在しないが、母語の習得については確実に存在するという立場です。

そして、その具体的な時期としては、12歳ぐらいまでの間と認識しています。

そこで、今回はなぜ「臨界期」なるものが存在するのかということについて考えてみたいと思いますが、ただこのような答えを即座に出される方も多いと思います。

「人間の脳はどんどん老化してその機能が衰えていくのだから当たり前ではないか」

確かに、もっともな回答に聞こえますが、ただ「老化」は徐々に進んでいくものであります。ですから、12歳ころまでというかなり具体的な限界が存在しているということの説明にはならないのです。

この説得的な理由が本書に書かれていた部分がありましたので以下に引用したいと思います。

「『なぜ習得能力が消えるのか』ではなく、『習得能力はいつ必要なのか』が問題になるのである。答えは『できるだけ早く』ではなかろうか。言語の恩恵は長く享受できるのが望ましい。ここで注目したいのは、言語を習得する能力が言語を使う能力と違って、一発必殺であればいい、ということである。周囲の大人の発話を聞いて、一旦母語の詳細が習得できてしまえば、習得能力はもう不要となる。友人から借りたフロッピーディスクドライブは、買ったばかりのコンピューターに必要なソフトをダウンロードしてしまえば必要なくなるのと同じだ。」

なるほど。

そして、そのようにして一旦母語を習得してしまったら、母語による「論理」によっていくらでも、外国語を身に付けることができる。まさに、アプリを次から次へと入れていくようにというわけです。

そして、そのような「ベース」を手にしてしまえば次のような効用を手にすることができるのです。

「一般に、寿命全体に平均的に得になるものより若い生命体に得をもたらし、老いた生命体に負担を課すという選択の仕組みと捉えられる。40歳の人間が雷に打たれて死ねば、50歳60歳になった時のことを配慮した選択は無駄になるが、20歳30歳を配慮した選択はすでに活用していたことになる。だから、老いた生命体を犠牲にしても若い生命体を強めるような遺伝子は自然淘汰を生き延びる可能性が高くなるというわけだ。」

新しいPCを買ったときに、OSが入っているということの意味合いを考えると、このことが良く分かるような気がします。そして、そのOSのCD-ROMのありかなどもう誰も気にしませんから。

 

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