言葉は使われることで生命を宿す
2021年7月9日 CATEGORY - 日本人と英語
今回も前回の記事に引き続き、英語関連書籍ではありませんが以前に代表ブログでご紹介した「世界は贈与でできている」の中から、「日本人と英語ブログ」にふさわしいトピックをピックアップします。
そのトピックとは、「言葉を実際に使ってみることの意味」です。
でもそれは、誰もが「言葉は使えば使うほど上達する」というのはなんとなく経験で分かっていることです。
だからこそ、ランゲッジ・ヴィレッジの「国内留学」が存在しているわけです。
本書には、その誰もが経験的に分かっていそうだけれど、本当のところは良く分からないことについて、かなり論理的に説明してくれている部分がありましたので以下に引用します。
「『窓』という言葉を僕らはどうやって理解したのでしょうか。最初に思い浮かぶのは、大人が窓を指さしながら『ま・ど』と発話して教えることだと思います。これを直示的定義と言います。ですが、言葉をまだ習得していない子どもにはこれが不可能です。なぜなら、指を指して言葉の意味を定義するのでは、『何を指さしているのか』の解釈が無数に開けているからです。窓を指さしたとき、それは『外』かも、『透明』かも、『四角い』かも、そして『空』かもしれないとして逸脱して解釈される可能性もあります。『窓』以外の概念も何も準備されていない状況で『窓』の意味を教えなければならないのです。では実際にはどのようにして教えるかというと、大人から『寒くなってきたから窓を閉めようね』といった(窓を閉める実際の)活動と言語的コミュニケーションが合わさったやり取りを通じて徐々に学習してきたのです。つまり、『窓』という語がどのような生活上の活動や行為と結びついて使われているかという点に、『窓』の意味があるということになります。」
これは、「野球を全く知らない人に野球のルールを教えたとして理解できるか」ということにも同じことが言えると著者は言います。
とにかく実践を通じてやってみなければ、「ファール」の意味は分からない。それは、言葉の意味はそれ単独では確定しないからです。
続けて、次のような言葉の本質をとらえた鋭い指摘をされています。
「語の理解が確実にできているから言葉を使えるのではありません。そうではなくて、その語を用いて他の人とともに滞りなくコミュニケーションが取れているから、語の意味が理解されているのです。」
私たちランゲッジ・ヴィレッジがなぜ「英語を使う環境」の提供にこだわるのか、それは「実際の活動と言語的コミュニケーションが合わさったやり取り」を「窓を閉める」活動に限らず、ありとあらゆる実際の「活動」に言語的コミュニケーションをぶつけることの重要性を理解しているからです。
本書には、まさにその部分について代弁していただいたような気がします。