なぜ多くの言語は共通点をもつのか
2020年8月28日 CATEGORY - 日本人と英語
書籍紹介ブログにてご紹介した「共通語の世界史」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマは、「各言語の共通性」です。
私は英語を勉強し始めのころからずっと、このテーマについて不思議に思ってきました。
それを明確に意識したのは、英語の「ことわざ」を勉強し始めた時です。
「覆水盆に返らず」→There is no use crying over the spilt milk
「一石二鳥」→ Kill two birds with one stone
「習うより慣れろ」→ Practice makes perfect
「良く学びよく学べ」→ All work and no play makes Jack a dull boy
英語と日本語という遠く離れて江戸末期までほとんど交わることのなかった言語同士で、なぜここまでの共通点を持っているのか。
中学生ながらに不思議に思い、なんとなく「中国を介して間接的に交わったのかな」という勝手な仮説を立てて誤魔化してきました。
本書にはこのことに対するかなり詳細で明確な説明がありましたのでその部分を引用しご紹介します。
「豊富な借用はヨーロッパ諸言語の語彙の中に、言語の壁を越えた同語反復の広がりを作り出している。ヨーロッパ以外の大陸の諸言語についても同じことが言える。これらは語彙を豊かにするために古典的基盤に頼り、常にそこから語彙の源を汲んでいる。例えば、ヒンディー語、タイ語、ビルマ語などの東南アジアの諸言語にはサンスクリット語とパーリー語、日本語には古典中国語がそれにあたる。しかし、これらすべての言語はまた同様に、専門用語を作り出す必要に答えるために、英語にも頼っている。そしてこの英語も、多くの学問擁護をラテン語、ギリシア語の語根から形成しているのである。」
このことがすなわち、語彙を超えて私が疑問に思った「ことわざ」のような定型文にまで影響を及ぼしているかどうかということまでは明示されていませんが、言語の本質がその成長とともに「共通性」を高めていくものであるということは分かりました。
ということはまあ、私の勝手な仮説も当たらずとも遠からずといったところかもしれません。
そして、本書では次のように続きます。
「その結果、多くの言語がギリシア・ラテンの系統に属さないとしても専門用語は全般的に良く似ていることになる。このような相同性が言語の習得を容易にしたり、少なくとも受身の理解をしやすくしているとしたら、諸言語はそれぞれが互いの巨大で忠実なコピーとなってしまうのだろうか?」
つまり、もともと言語というものは、次第に「共通性」を高める性質を持ってしまっているのであれば、それはすなわち「多様性」を失っていくのは宿命なのかという疑問が浮かび上がってきます。
いよいよ本書の主題である「多様性の維持こそが、統一性を生み出す酵母である」という言葉の本質に近づいてきました。
次回の記事でその主題に迫りたいと思います。