日本人と英語

語彙の身体化にはスピーキングよりライティングが効果的

2022年12月1日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語独習法」からテーマをいただいて書いてきましたが、第七回目の今回が最終回です。

最終回のテーマは「語彙の身体化」についてです。

今まで学習してきた「語彙」の学習は、仮にコーパスを利用したとしても所詮は「頭の知識」にとどまります。自由に英語を話したり(スピーキング)、書いたり(ライティング)するには、その「頭の知識」を「体の知識」にしなければなりません。

つまり、「語彙の身体化」にはスピーキングとライティングのトレーニングが欠かせないのですが、今回はどちらがより効果的かという議論です。

結論から申し上げると、多くの人にはこの答えが「意外」に聞こえると思われますが、その答えはライティングの方がスピーキングよりも効果的だということです。

以下に著者がその理由を述べている部分を本書より引用します。

「スピーキングはリスニング同様、リアルタイムで進行する。スピードを自分でコントロールすることはできず、分からない単語が出てきても、話しながら辞書などで単語を調べる余裕はないので、認知的な負荷が高い。また、スピーキングの時は細かいことを気にせず、とにかく手持ちの材料で対応することになるので、いくら練習をしても、日本語スキーマの克服は難しく、英語スキーマを身体化することは期待できない。さらに相手の言うことを理解しなければ応答することができないから、リスニング能力がなければ始まらない。つまり、辞書を引かなくても自分でいいたいことを表現できるだけの語彙力と、相手の言うことをリアルタイムで聞き取り、理解できるリスニング能力がなければ成立しない」

手持ちの語彙でやり切る「即興対応力」としてのスピーキングトレーニングは必要であるが、それはあくまでも「即興対応力」に限定したものであり、英語スキーマの獲得という根本的なコミュニケーション能力を獲得するためのトレーニングとしては機能せず、それはあくまでもライティングトレーニングによって獲得していかなければならないのです。

著者のこの指摘は私にとっても「意外」であったと同時に、想像していたよりもずっとレベルが高く厳格なものでした

ではその「意外」且つ「厳格な」ライティングトレーニングが具体的にどのようなものなのか、本書の言及部分を以下に引用します。

「教師などによるフィードバックが有効であることは認める。しかし、本書で述べてきた人間の認知のクセを考えると、教師ではなく自分自身で問題点を意識して見直しをし、辞書、コーパスなどで調べない限り、その教師のフィードバックはほとんど役に立たない。英語は先生に教えてもらうもの、教えられたことを暗記するもの、という意識で学習している限り、伝えたいことを自在にアウトプットすることができるようにはならない。具体的には私は、英語で論文を書いたら最低3回は見直す。1回目は言いたいことを伝えるのにより良い表現がないかという吟味。2回目は自分が苦手な冠詞と複数形だけに着目。さらに3回目は主語と動詞の数の一致や時制だけに着目して見直すのだ。このように、1回ごとに別の観点に集中して注意を振り向けながら、数をこなしていくと自分で感覚を掴めるようになっていく。(一部加筆修正)」

要するにこれは、「熟読」、「熟見」に継ぐ「熟書」とも言うべき訓練です。

その上で、人間のコミュニケーションの多くはライティングよりもスピーキングをもって行うことになるわけで、最終的には「即興対応力」たるスピーキングトレーニングも必要となります。

こちらについてはライティングの説明の時の「厳格さ」が嘘のように、次のような「あっさり」とした説明に終始しています。

「ライティングが自由にできるようになれば、スピーキングは短期間の集中的な練習で上達する。熟読、熟見、熟書といった深い学習を繰り返していると、徐々に英語スキーマが使えるようになる。そのタイミングで英語が第一言語として日常的に使われる環境に短期留学して、現地の人とできるだけたくさん話す機会を作り、英語を使う練習をする。こういう学習法は非常に合理的である。」

なんだか、ランゲッジ・ヴィレッジの広告文章を読んでいるような気がしてしまいました。(笑)

 

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