日本人と英語

贈り物に関する英語と日本語の論理

2020年3月11日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英語の発想・日本語の発想」からテーマをいただいて議論をしていますが、第六回目のテーマは「贈り物に関する論理」についてです。

これについては、言語の違いというよりは文化の違いの色が強いと思いますが、ただ、私たちが英語を使う際にはこの違いを認識した上で使用しないと、実質的な問題が生じる可能性が高いので、取り上げたいと思います。

日本には、お盆と暮れになるとお中元、お歳暮という習慣があります。そして、このことを「虚礼」として批判する人も最近では多くなってきました。

私自身も、あまり贈り物のやり取りが上手な方ではないと自覚しており、特に気持ちのこもらない虚礼とも思えるようなものにはむなしさを感じます。

ですから、「贈り物」の論理とは、つまりは「気持ち」の論理だと思っています。

しかし、それは決して、英語圏では「気持ち」があるけれど日本では「気持ち」がないということではありません。お互いにおいて「気持ち」が理解されないことが問題だと思っています。

その点について、本書には非常に分かりやすく日本の「気持ち」が英語圏では理解されない理由について書かれていましたので、以下に引用します。

「アメリカで生活するある日本人が日本人の知人を訪ねて車で来た。その知人の家には余分な駐車場がないため、普段から近所のお宅のアメリカ人の奥さんから空いている時には自由に使ってもよいと言われているので、そこに止めるように言った。そのため、その車を止めた日本人は、その知人に対してたまたま持っていた土産物をアメリカ人の奥さんに御礼として渡すように頼んだ。知人は言われた通り、それを奥さんのところへもっていった。しかし、アメリカ人の奥さんは喜ばない。やると言われても迷惑だと感じる。あったこともない人からの贈り物をどうして受け取れるのか。あったこともないのであるから、こちらの個性を完全に無視していることになる。駐車させてもらってありがたいと思うならなぜ本人が直にそれを伝えないのか。その訳も分からないものを受け取るより、『ありがとう』の一言の方がよほどうれしいのだ。(英語の論理では、)プレゼントをしていいのは、相手の好み、趣味をよく知っていて、それに合ったものがある時だけである。」

この流れで考えると、一番問題になるのは、日本の「お金」そのものを贈り物とすることです。

なぜなら、英語圏の贈り物に乗せる「気持ち」の最も重要な要素が、「個性」を汲むことであるのにも関わらず、金銭を贈るということは、最も「非個性的」なものとすることになるからです。

こうなると、昨今増えてきた結婚式の引き出物などの「カタログギフト」なども「非個性的」なものを贈り物としていると英語圏からはとらえられてしまいそうです。

日本人としては、「祝儀」「香典」に「お金」を用いるのは、そのような慶事や不幸にあって一時的に出費がかさむことがあろうから何よりもお金が便利だろうという「気持ち」であり、「カタログギフト」も何が好みか本人自身が一番分かっているわけだから一番欲しいものを自分で選んでほしいという「気持ち」からのものであるはずです。

ですから、日本人の贈り物の論理の基本も、「気持ち」であることに変わりがないのです。

ただ、私の英語圏での生活経験から言えば、例え「気持ち」がこもっていても、日本の論理が英語の論理とは相まみえないポイントがあり、そのことをわきまえないと少なからずよくない「空気」が生じてしまうことは間違いありませんので、「言語の選択」と同じように「論理の選択」もできるようにしておいた方がいいと思います。