日本人と英語

アルファベット日本語化論 その3

2025年7月25日 CATEGORY - 日本人と英語

前回ご紹介した片岡義男氏の「日本語で生きるとは」という本の中に、私がかつてこのブログで主張した内容に絶妙に関連した内容の記述があったのでその部分を引用して再度議論したいと思います。

その主張とは、11年前(2014年8月)に「アルファベット日本語化論 その1」と「アルファベット日本語化論 その2」です。

まずは、私の「アルファベット日本語化論」について概要を書いておきます。

「私が提言する『アルファベット日本語化論』は、日本語ローマ字採用(漢字やひらがなカタカナの廃止)論とは全く違います。そうではなくて、アルファベットを日本語における、漢字、ひらがな、カタカナに続く第四の表記方法に公式に採用すべしという考えです。一応ウェブでいろいろ調べてみましたが、まだ誰も提唱している人はいないようでした。(私のオリジナルです!)『theme park テーマパーク』『stew シチュー』『silver シルバー』などカタカナ表記することをやめ、外来語を日本語で表記する際、そのままその通りのスペリングで表記することを正式とするのです。そして、小学校教育において、ひらがな、カタカナの教育が終了次第、alphabetの学習を開始します。このalphabetの学習は、現在行われているローマ字教育に、日本語に存在していない主要外国語には存在する『発音』の教育も加えます。例えば、英語における『th』『v』『r』『l』、中国語における『zh』『q』『x』などです。外来語に関する部分についてのみ、アルファベット表記にするだけですから、日本語の言語的システムという生態系にほとんど影響を与えることなく処理することができます。」

このことを明らかにした上で、本書における関連部分を以下に引用します。

「かつて『ミウクンシュガ』という片仮名書きは英語の学習を巡って発揮された熱意の産物の一つだ。この片仮名書きが今の日本で一般的になされる『ミルクアンドシュガー』になるとそこには自分の都合によってすべてのものを一律に整理してしまわずにはおかないという狭量さが明確にある。『ミウクンシュガ』には、一方の完全異言語である英語の音を、もう一方のこれまた完璧な異言語である日本語を使う自分たちがその全身に受け止める時の肉体性がそのまま表れている。しかし、肉体性は人それぞれだから『ミウクンシュガ』は『ミユケンシュガ』でもありえる。多様性は邪魔くさいし効率を妨げる。だから、『ミルクアンドシュガー』という書き方を一律に行うという自分の都合という狭量さがこうして書き方の一律さを支えることになる。」

たしかに、英語圏の人に対して「ミルクアンドシュガー」というのと「ミウクンシュガ」もしくは「ミユケンシュガ」というのとでは、明らかに後者の方が伝わりやすいはずです。

それなのになぜ、前者の「ミルクアンドシュガー」なのかと言えば、やはり日本人のみんなが一律に(同じように)書ける・言えることを重要視したからだというのは、本当に説得力があるなと思います。

そして続きます。

「つまり、片仮名で書いた外国語の日本語への強力な定着ぶりは戦後の日本人が行った英語の勉強のなりよりの成果だと言える。ほんの少しだけの英語をものすごく間違った方向に向けて長い期間にわたって学校で勉強するのが戦後の日本人の常態となった。」

要するに、日本語に定着させることのためにカタカナという日本語の文字を使い、日本語的読み方を発明し、それをあまねく日本人に広めるということが、戦後の日本の英語教育の実態だったというのです。

そして著者は次のように続けます。

「日本語の中に英語を本来の形でそのまま移植することなど出来っこなかったとすでに無数にあるカタカナ語が言っている。カタカナで書くことを通じて意味も使い方も日本語にした上でないと外国の言葉という文化は日本の中に移植することができなかった。そしてそのこと自体は実に健全な当たり前のことだ思う。」

私には著者がそのことをある意味肯定しているように聞こえます。

つまり、私の「アルファベット日本語化論」は、日本語の中に英語の単語をそのまま音声と文字もろとも取り込む方法に切り替えよう(英語の日本語の都合からの解放)というわけですから、著者のこの認識に真っ向から対立してしまうのです。

ただ、本書が書かれた1999年とグローバル化が進んだ現在では、私たち日本が置かれた立場はかなり違ったものになっていることも確かです。

外来語に関する部分についてのみアルファベット表記にするだけなので日本語の言語的システムという生態系にほとんど影響を与えないということは、逆に言えば日本語のシステムの影響を受けずに英語をはじめとする外国語を使用することができるということです。

それによって、日本語と英語が健康的に日本人の中で共生できるようになる、もっと具体的に言えば、日本人が日本語の発音からズレた英語の文字と音声の組み合わせを「キザ」だとか「キモイ」とかいう感情とは無縁となり、もっとスムーズにグローバル化を進めていくことができると私は思っています。

 

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