
テーブルを「拭くの」か「きれいにする」のか
2025年11月26日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「 AI時代になぜ英語を学ぶのか」からテーマをいただいて書いていますが、第五回目のテーマは前回に引き続き「異文化理解」についてです。
前回の「AI時代の異文化理解とは」の記事にて、言語学習を通じて初めて理解が可能な、翻訳を通すと理解できなくなってしまう文化の側面である「不可視的文化」の事例として、「男の子の赤ちゃん」vs「a baby boy」の事例をご紹介しました。
今回ご紹介するのは、「日本語らしい日本語」と「英語らしい英語」に表れる「不可視的文化」の事例です。
(1a)布巾でテーブルを拭く。
(1b)I cleaned the table with the duster.
(2a)タオルで体を拭く。
(2b)I dried myself withe the towel.
(3a)電車に傘を忘れた。
(3b)I left my unbrella on the train.
(4a)すぐ行くよ。
(4b)I’ll be right there.
実はこれらすべての文では「拭いて乾かす」のような連続した2つの行為が結合した複合的行為であるということです。そのため、通常はどちらかの行為に焦点を当ててそれを動詞として選択するということが行われます(もちろん両方選択することもできないわけですが)。
その際、どちらの行為に焦点を当てるかに言語及びその言語の「不可視的文化」の差が出るのだと著者は言います。
それは、「乾かす」がこの複合行為の「目的もしくは結果」であって、「拭く」がその「過程」を表しており、日本語では「過程」を、英語では「目的もしくは結果」の表現を選択していることが分かります。
しかもこのような日本語の性質は次のような極端な形で現れます。
(5a)燃やしたけど、燃えなかった。
(6a)起こしたけど、起きなかった。
これは私たち日本人でも本来おかしなことであると思えるほどで、当然ですが英語では許されない表現で、実際には次のように表現されなければなりません。
(5b)I tried to burn it, but it didn’t burn.
(6b)I tried to wake him up, but he didn’t wake up.
このように、過程指向の日本語では結果の含意を容易にキャンセルすることができるのです(あきらかに論理矛盾があるのですが)。
この点、なぜ日本語は過程指向で英語は結果指向なのかについては、さすがの著者もこれに対する答えは持ち合わせていないと正直に認めつつ、最初は、ランダムにどちらかに注意を払っていたものがだんだんとどちらか一方に収束していって、日本語では過程に偏り、英語では結果に偏っていったのではないかと想像されていました。
そして、そのような偶然の結果で日本語が過程指向の言語になり、それを使って生きてきた日本人の文化が「結果」よりも「過程」を重視するようなものになっていったとも言えなくもないかなと。
これはこれでかなりの説得力があるかなと思いました。









