日本人と英語

言語はそもそもデジタルである

2022年8月26日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログにてご紹介した「英文法を哲学する 」からテーマをいただいて書いていますが、第六回目のテーマは「言語のデジタル性」についてです。

デジタル化が叫ばれるようになり、電話で会話すること自体が「アナログ的」だといわれるようなこの時代は、我々アナログ人間にとってはつらい世の中になっています。(笑)

しかし、そもそも人間の言語(による活動)そのものが「デジタル的コミュニケーション」であるということに本書は気づかせてくれます。

まずは言語ができる前の例えば人間以外の動物の原始的なコミュニケーションについて見てみます。

「まず理解すべきことは自然には否定は存在しないということです。雲が出て日が隠れるのは雲が日光を否定したからではありません。雲も太陽も何も『打ち消し』てはいません。では動物たちは本当に否定を知らないのでしょうか。犬が『噛まない』意志を伝えようとする犬は、人間と違って噛む行為を別のしぐさで表すことができません。噛まずに噛むを表すための象徴的な行動がとれないのです。ただ、すでに仲良しになっている二匹では『噛むことと同じしぐさをして噛まない』行為が観察されます。その時お互いの間に二重のメッセージが交わされていると考えられます。ただそのコミュニケーションは常に現在進行形。いつも抜き差しならない緊張をはらんでいることが想像できます。」

つまり、これこそがまさに「アナログ的」コミュニケーションです。

では、続いて人間の言語を使ったコミュニケーションについて見てみます。

「人間は言語を操っています。語(words)という意味を代行する記号を連ねることで、意図したことを伝え、嘘をついて騙したりもする。それとともに表情も精緻化しました。人生の悲しみをチャップリンのようにユーモラスに伝えるという高度なテクニックも人は使いこなすことが可能です。言語とは単に語(words)の連なりによってできているのではなく、ハートとボディによる口調・表情・身振りの浸み込んだコミュニケーションが機能していて、それ全体のデジタルな側面を言語が受け持っている。『デジタル』とは『不連続』と同義です(かつての記事参照)。アルファベット26文字はそれぞれくっきり別物です。aからoへ連続的に変化するような発声を言語は用いません。加えて、言語記号(意味するもの)とその意味とは別物です。『カナシイ』は悲しくありません。『悲しそうな顔』はフェイクでなければ『悲しさの一部』ですが、『カナシイ』という発話のうち、悲しさを伝えるのは、その発話に絡む声のアナログ的な(口調やトーン)要素の方です。逆に言うと、それ自体はちっとも悲しくない『カナシイ』を口にすることで想像上の悲しみを伝えることが言語記号を持つ人間にはできるのです。この、人間には当たり前のことが、犬にはできない。犬は悲しそうな鳴き声を立てることしかない。その悲しげな『ク~ン』の発声は『悲しくある』ことの切り離せない一部です。」

そう言われてみると、人間を他の動物たちと切り分けているのがまさにこの「デジタル性」であるということになり、私たち人間は全員、「デジタルネイティブ」だと言えることになります。

自らを「アナログ世代」と規定して生まれながらにしてデジタル機器に囲まれている若い世代を恨めしく思っている我々世代には勇気を与えてくれる指摘だと思うのですがいかがでしょうか?

 

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