
英語名人を育てた札幌農学校
2025年10月19日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「英語と明治維新」からテーマをいただいて書いてきましたが、第四回目のテーマは日本における「英語漬け教育機関の走り」です。
このブログでもご紹介したことのある新渡戸稲造をはじめ、有島武郎、内村鑑三などいわゆる「英語の達人」として有名な人たちを他のどの学校よりも突出して輩出したのが、前々回の「お雇い外国人の実態」の記事の中で唯一名前を挙げることができた「クラーク博士」が初代教頭を務めたことで有名な札幌農学校です。
なぜ、「農業学校」であるこの学校がこれだけ多くの英語達人を輩出できたのか、その秘密は次のような教育内容にあったようです。
「授業は全て英語。そのため最初の入学試験はクラークら三人のアメリカ人教師が口頭試問形式で行い、英語力と資質を見極めた。入学後、生徒は英語の講義を筆記し、寄宿舎で浄書(じょうしょ=清書)、それを教師が点検・修正する毎日だった。アメリカ留学と変わらない英語漬けの生活だ。しかも、農業学校でありながらも全人教育の観点から、専門教育のみならずリベラルアーツや語学教育を重視した。全学年合わせて週に63時間の授業のうち、英語関係の授業が31時間と約半分を占め、英語及び翻訳・英文学・英語弁舌法・英文学史などを開講していた。これはクラーク教頭の人の上に立つ者は弁舌がうまくなくてはならないというアメリカ流の考え方からだ。それによって、新渡戸稲造は卒業翌年の1883年に東京大学に入学したが、英語・英文学教育の水準の低さに失望。一年足らずで退学し、アメリカとドイツの留学へと旅立った。彼は札幌農学校の教育で『特に役立ったのは英語の知識で(中略)無尽蔵の知識の蓄積に近づく手段を得ることができた』と述べている。」
合宿制語学学校ランゲッジ・ヴィレッジの経営者としては、明治の時代の日本にこのような理想的な英語学習環境を提供することができていたという事実に何か嫉妬にも似た複雑な感情を抱いてしまいました。
実際に彼は、1920年の国際連盟設立に際して事務次長の一人に選ばれ、国際連盟の規約に人種的差別撤廃提案をして過半数の支持を集める(議長を務めたアメリカのウィルソン大統領の意向により否決)など、「太平洋の架け橋になりたい」として初志を貫徹する国際・平和人としての生き方を貫きました。
このような教育環境を作り出し、実際にこのような実績をあげた事実を目の当たりにすると、学校の質はいかにその場を仕切る人間の考え方と能力に左右されるかを思い知らされるしかなく、ただただ自らの身の処し方を改めて見直す機会とさせていただきました。









