
AI時代の異文化理解とは
2025年11月26日 CATEGORY - 日本人と英語

書籍紹介ブログでご紹介した「 AI時代になぜ英語を学ぶのか」からテーマをいただいて書いていますが、第四回目のテーマは「AI時代の異文化理解」についてです。
今までは、「異文化理解」と「外国語学習」は切り離して個別にとらえるのが困難なものとして捉えられてきたと思います。
というのも、例えばイギリス文化に触れたいと思っても、「英語力が足りない」という理由から留学やホームステイを諦めていた人たちや、実際に留学やホームステイが叶っても、相手の言葉が理解できず、または自分の言いたいことを英語で伝えることができず自室に閉じこもっていた人たちがいましたが、今後は英語力がほとんどなくてもAI翻訳を通してそれらの夢がかなえられる可能性が開かれたからです。
思い出してみると、ランゲッジ・ヴィレッジの国内留学を事業化しようと思ったとき、このような人たちの存在をなくすことができるとの仮説がそのモチベーションのかなりの部分を占めていました。
ですが、すでに見てきたように英語のコミュニケーション機能をAIにアウトソーシングしてしまうことで、もう一つの機能である英語学習の「教養的側面」のみを独立して捉えることが可能になったというのが著者の主張です。
つまり、異文化理解と外国語学習を切り離して、異文化理解を個別にとらえることができるようになれば、そしてそれを日本語を使って学ぶことができれば、異文化学習はもっともっと深められるのではないかということなのです。
ただし、著者は異文化理解の「文化」の概念を次の2つに分け、それでもどうしても言語学習と切り離すことができない側面があることを指摘されています。
一つは「可視的文化」すなわち、
言語学習なしでも理解可能な、翻訳を通しても理解できる文化の側面。例えば、クリスマスの慣習や靴を履いたまま家の中で過ごす習慣などで、これらは日本語を媒体にしても学ぶことができます。
そしてもう一つは「不可視的文化」すなわち、
言語学習を通じて初めて理解が可能な、翻訳を通すと理解できなくなってしまう文化の側面。例えば、第二回目の「言語ごとの世界の切り取り方」で見たような、日本語の「着る」と英語の「wear」の意味の切り取り範囲の違いなどで、これらは英語を媒体にしなければ学ぶことができないものです。
ですので、この「不可視的文化」まで学びたい人は、コミュニケーションツールとしての英語学習とは別だとしても、AI時代においても英語を学ぶ必要があるということになります。
ここで、すでに確認した日本語の「着る」と英語の「wear」以外に、もう少し感覚に密着した事例を本書より引用します。

「唐突ですが、この写真は『男の子』ですか、それとも『赤ちゃん』ですか?不思議な質問と思われるでしょうが、ちょっと考えてみてください。おそらく、どっちも正しいと思ったと思いますが、実は、日本語話者にはほぼ統一的な答えがあるのです。それは『赤ちゃん』です。普通、日本語では『男の子の赤ちゃん』と言います。そんなことは当然だと思うかもしれませんが、なんと英語では『a baby boy』とその逆になるのです。つまり、『赤ちゃんの男の子』というのです。この日本語と英語の違いから見えるのは、日本語では男の子という性質をもった赤ちゃんと認識しているのに対し、英語では赤ちゃんという性質をもった男の子と捉えているということです。本来、どちらとして認識するかは半々の確率かもしれません。正直、どちらでもいいのです。しかしながら、母語を習得することを通して日本人はこの写真を『赤ちゃん』として、英語を母国語とする人は『boy』と捉えることを学習するということになります。自分以外の他者がこれを『赤ちゃん』と捉えるか『男の子』と捉えるかに関しては、言葉の助けなくしては知る由もありません。しかし、他者が『 a baby boy』と表現したならば、その表現からどのようにとらえているかを推し量ることができるのです。つまり、これが不可視的文化ということになります。」
このような説明を受けることで、AI時代の英語学習のイメージがかなり鮮明になってきたように思います。









