「学力」の経済学
2015年12月6日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。 以前に、書籍紹介ブログで「英語化は愚民化」という本の紹介の中で、以下のようなことを書きました。
「経済は経済の専門家が政策を考える。法律は法律の専門家が考える。これらは当たり前の話だと思われますが、これが日本の教育、特に外国語教育の話となると、突然に当たり前の話ではなくなってしまいます。」
このことを、私と同様に大きな問題と考え、その問題を「適切に解決」する方法を提示しているのが今回ご紹介する「『学力』の経済学」という本です。
本書において、著者がこの問題を「適切に解決」するために選んだ方法が「データ」による科学的分析です。 非常に、説得力のある内容でした。そのため、「思いつき政策」を繰り返す日本の教育行政に対して改めて怒りがこみ上げてきました。(笑)
特に印象に残ったのは「教育の収益率に対する情報提供」というマダガスカルにて行われた研究の成果です。この研究に関するところでは以下のような記述がありました。
「親や子供たちが教育の価値を過小評価している場合、正しい教育の収益率を知る、つまり、『教育を受けることの経済的な価値』に対する誤った思い込みを正すだけで子供の学力を高めることができる。」
私はかつて地元の中学生向けに学習塾を運営しておりました。
その中で、あまり真面目に学習に取り組まない生徒に対して以下のような「生々しい」発言をしていたことを思い出しました。
「君たちの前に、一万円札を一枚置いて、これからの一時間、まじめに学習に取り組んだらこの一万円をあげると言ったらどうする?おそらく、二時間でも三時間でも、何とかして少しでも長く勉強することを考えるだろう?仮に、今のままだったら、高校を卒業して地方の零細企業にしかつとめられないとする、方や、勉強して『自分で就きたい職に就くことができる能力』を身に着けられるようになって、やりがいがあって給料の高い企業につとめられるとする。その二つの場合の生涯年収を計算してみる。一般的な統計では、平均して年収で倍以上の差が生まれるってことが分かっているんだよ。前者が一億五千万円だとすると後者は三億円だ。この差額の一億五千万円を今から大学受験まで3時間勉強した時の総学習時間を計算すると日曜日は休んだとしても4320時間だ。さっきの一億五千万円を4320時間で割ると、約35000円だ。これからの一時間を勉強しないという君たちの決断は、一時間勉強したら35000円をもらえるという選択肢を捨てているということなんだよ。」
この発言には、ご父兄の間でも賛否がありました。「高給の仕事がそうでない仕事よりも絶対的に高級とは言えないでしょう。」という意見もあったと思います。
しかし、私はそうはいっていません。
あくまでも、子供たちに『自分でつきたい職に就くことができる能力』をつけることの重要性を伝えてつもりでした。
「高給の仕事とそうでない仕事を自分の価値観で判断できる選択肢を持つ」ということであって、選択できるけど、価値観の問題で高給ではないけどやりたい仕事に就くという選択を否定しているわけではないのですから。
とはいえ、この結果、生徒たちの学習に対する姿勢が多くの場合、大きく変わったことは事実です。
したがって、本書で指摘されている「教育の収益率に対する情報提供」が効果的であるという「データ」は有意性があるということを私は実感しています。
ただし、同時に「データ」はあくまでも、非常に限定された前提でのものに過ぎないわけですから、それには限界があるということもしっかりと理解しなければならないということも改めて意識させられました。
つまり、結局は、その「データ」は、変数のあまりに大きな現実の世界という前提での結果ではなく、ある限定された前提での結果の切り取りに過ぎないということです。
そのような前提の「データ」を基に総合的に合理的に判断するのは、結局は「人間の力」だということを忘れてはいけないと思います。