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やさしい日本語

2020年10月12日 CATEGORY - 代表ブログ

皆さん、こんにちは。

先日(2020年9月26日)の日経電子版の記事に文化庁が「やさしい日本語」の取り組みへの認知度がまだまだ低いとの調査結果をまとめたとのニュースがありました。

「文化庁が26日までに発表した国語に関する世論調査によると、日本で暮らす外国人に災害・行政情報を伝える際、より平易な『やさしい日本語』を使う取り組みについて『知っている』と答えた人は29.6%にとどまった。やさしい日本語は『住所』を『住んでいるところ』、『余震』を『後から来る地震』などと言い換え、日本語に不慣れな外国人でも理解しやすくする。取り組みを知っている人の割合が最も高いのは60代(39.4%)で、20代以下は『知らない』が8割近くに上った。」

まずは「やさしい日本語」の取り組みについて以下に解説します。

「1995年の阪神大震災では多くの在日外国人も被災したが、その際、避難所やライフラインに関する情報を理解できず困難な状況に置かれていたことが判明した。このことから、弘前大学の佐藤和之教授が中心となり彼らにも理解しやすい簡潔な『やさしい日本語』を研究し、考案した。具体的には小学校3年生の学校文法に相当する日本語である。」

このことは、災害時に限らず、今後日本の少子高齢化対策としての外国人労働者の確保、それから外国人観光客の誘致が不可欠となっていることから、その重要性が増加し続けていくことは間違いないことです。

しかし、その重要性の増加に対して、実際の推進はおろか日本人の多くがその存在すら知らないという事実が明らかになったということは、すなわちこの国のグローバル意識の低さが露呈してしまったととらえるべきでしょう。

我々日本人が今後もグローバル化を推進するのならば、このことを大いに反省すべきだと思うのですが、今回私が訴えたいポイントはまた別にあります。

それは、実はこの「やさしい日本語」を意識することが日本人の外国語学習にとっても非常にメリットのあることだということです。

私が長いこと英語教育に携わってきた上で、「英語ができる」という非常に抽象的な概念の一番本質的な部分、エッセンスは何かを定義しようとすれば、自分が頭に浮かべた伝えたい内容の日本語が英語にそのまま英語にできないと分かった時に、瞬時にその内容に最も近い「やさしい日本語」に置き換え、そしてそれを英語に直す力とすべきと確信しています。

もちろん、純粋な英語力という意味で言えば「自分が頭に浮かべた伝えたい内容の日本語が英語にそのまま英語にできる」ことに越したことはありません。

これだけ多くの日本人が「英語を学ぶ」ことに膨大な時間を費やしているわけですから。

ですが、当然のことながら人間はそれを継続し続けなければ「忘れる」動物です。

そうなると、努力を重ねて一度「英語ができる」状態になったとしても、そのレベルを維持するためには常に英語学習の生活の中での優先順位を高く設定し続けなければならなくなります。

学生であればそれも可能でしょうが、多くの社会人にとってそれは難しく、一度ある程度まで「英語ができる」状態になったらその後はその人の努力の継続状況に応じてそのレベルが変化していきます。

そして、英語学習を継続できずにかなりレベルが低くなっている状態の時にも突然英語が必要になることはあります。

その時に、必要なのがこの「やさしい日本語」、すなわち自分が頭に浮かべた伝えたい内容の日本語をそのまま英語にできないと分かった時に、自分がその時点で有している英語レベルに翻訳可能な「やさしい日本語」に置き換えることができる能力だということです。

それによって何とかその窮地を乗り越えた時、その結果に満足することなく、正直にその「悔しい」気持ちを「危機感」に変え、本来の「自分が頭に浮かべた伝えたい内容」に対応できる英語レベルに再向上させるモチベーションとすべきだと考えています。

「やさしい日本語」を在日外国人のためだと思わずに、私たち日本人の英語学習にとって必要な「自分ごと」と捉える姿勢こそ、グローバル意識そのものだと思うのです。