アイデアの「捕獲」方法
2014年6月1日 CATEGORY - 代表ブログ
皆さん、こんにちは。
私は自慢ではないですが「物忘れ」が半端ではないです。自覚しているだけマシとよく慰めていただくのですが、本当にすごいのです。
わざわざ何かをとりに行ったのに、その何かを忘れるなんてことはしょっちゅうですし、今思いついたことをほんの30秒後に思い出せないなんてこともしばしばです。
そんな性格(最近になって始まったことではないので老化ではなく性格だと思います)もあってか、それを自衛する方策を工夫するという「いい」習慣を身に着けています。
その一例が、この写真「A6ノート」です。このノートについては以前にも ブログの記事 で少しだけ紹介したことがあります。
一日の始まりに「やるべき」リストを書くことは当然のこととして、このA6ノートを常に持ち歩き、何かいいアイデアを思いついたりしたらすぐに走り書きをします。例えば、自転車で出勤中に汗びっしょりになっていても、何か思いついたら、ノートをびしょびしょにしながらメモっています。
この習慣は2008年に「情報は一冊のノートにまとめなさい」という本に出合ってからずっと続いています。ですから、かれこれ6年以上になります。大体、一か月に2~3冊というペースで消費していきますので、少なく見積もってもすでに150冊くらいにはなっていると思います。
そのおかげで、アイデアを思いついたのに何だったか忘れてしまったという「記憶事故」は2008年以前と比べ格段に減りました。かなりの飽き性分の自分が、習慣系で自慢できる数少ないネタです。(もともと、自慢できない性質がきっかけですが)
実は、この習慣を身に着けてから必要なくなったことがあります。
それは、「アイデアを考える時間を持つこと」です。
一日のすべて(場合によっては夢に出てきた内容をメモることもあります)がアイデアを獲得する時間と化すため、あえて「アイデアを考える」時間をとることが不要になるのです。しかも、「今からアイデアを考えるぞ」といった「意識」することで出てくるアイデアなんて大したことないと相場は決まっています。
このことの効用を考えるうえで、以前にも紹介した私が尊敬する一橋大学の楠木教授が ご自身のブログ で以下のように面白い考察をされていましたのでその部分をご紹介します。
『これまでの仕事生活で、「努力しなきゃ……」と思ったことで人の役に立てる水準にまで上手くなったことはただの一つもございません。これだけは自信をもって言えます。(中略)それが「努力」かどうかということは当事者の主観的認識の問題でありまして、僕に言わせれば「努力しなきゃ……」と思った時点でもう終わっているのですね、これが。もちろん何かがうまくなるためには努力投入、しかも長期継続的なそれが必要なわけですが、本人がそれを「努力」と認識している限りは投入の質量ともにたかが知れているし、何よりも持続性に欠ける。質量ともに優れた努力を継続できるとすれば、その条件はただひとつ、「本人がそれを努力だとは思っていない」、これしかないというのが僕の結論でありまして、これを無努力主義と言うております。つまり、客観的に見れば努力投入を継続している、しかし当の本人は主観的にはそれをまったく努力だとは思っていない。これが理想的な状態。無努力主義の本質は「努力の娯楽化」にあります。』
楠木教授のおっしゃる「努力」するというのは、私の「意識」することと同意義ととらえていいのではないかと思います。ですから、「アイデアを出そう」と思った時点でもう終わっているということです。
思い返してみれば、一日の生活の中でノートに書き入れるタイミングとしては「何か面白いもの」に集中しているタイミングとか、直接でなくてもそれに影響を受けてのことが多い気がします。
そのタイミングを意識せずに継続してアイデアを「捕獲」できる仕組みができたということは、まさに「努力の娯楽化」を実現できているということかもしれません。
そんなわけで是非、この「A6ノート」の習慣化、お勧めします!